鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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■注 参照。■注■参照。「馬頭町広重美術館所蔵の版本について」国際浮世絵学会第52回研究会口頭発表,2004年。注■『和本の美』では、A斎の略歴について「寛政6年(1794)に、津山藩(岡山県)松平家の新規お抱え絵師となり、翌年、名前を鍬形A斎紹真と改め(略)」と記す。同書に言及はないが、福岡大学はB本を所蔵しており、B本奥付を根拠に記した略歴だと思われる。注■参照。『原色浮世絵大百科事典』第3巻 様式・彫摺・版元,大修館書店,1982年 の「江川留吉」の須原屋市兵衛は文化8年に没している。今田洋三「江戸出版業の展開とその特質」『出版研究』『大坂本屋仲間記録』13,大阪府立中之島図書館,1987年 に影印。なお、本資料は「絵本・注今田論文参照。内田欽三「近世絵画史における鍬形A斎」(注5)図録所載 より引用。初出は星野朝陽「鍬形A斎と其筆「櫻下舞姫圖」」『浮世繪藝術』3,1932年。同論文に記されるA斎のその他の履歴がほぼ正確であることから、当時存命だった遺族への取材をもとにしたと考えられている。注■小澤論文参照。 拙稿「『四方の巴流』」解説『チェスター・ビーティー・ライブラリィ絵巻絵本解題目録 解題■同書の奥付刊記は「寛政六年甲寅蝋月」とあるが、凡例には「寛政七年乙卯初春」とあり、『割印帳』によれば同7年2月23日に割印を得ている。実際の刊行は遅れたものの正月刊行を目論んだ絵手本らしく、A斎の脱稿は6年中と見て良いだろう。 由良哲次『総校日本浮世絵類考』画文堂,1979年 より引用。■拙稿「18世紀末の絵手本観―鍬形A斎(北尾政美)を例に―」太田昌子責任編集『絵本・■「式」について内田欽三氏は「手本、模範、規格、決まり」等の意味を挙げる。内田欽三「鍬■例えば安永3年(1774)刊『画図珍選』の改題本『画図絶妙』の序題に「略画早手本」とある。■国文学研究資料館サイト内「日本古典籍総合目録」での検索結果による。『京都書林行事上組済帳標目』(『京都書林仲間記録 書誌書目シリーズ⑤』ゆまに書房,1977年)の寛政12年の条。この記事は、二又淳「『続膝栗毛』と文鳳絵本」『近世文芸研究と評論』59,2000年 によって知った。形A斎研究―御抱絵師時代の活動をめぐって(上)―」『国華』1158,1992年。日野原健司氏は『鈍画早稽古』を「和歌や俳諧を楽しむ人々が絵を添えられる」ための指南書だったと指摘する。日野原健司「北尾政美と北尾重政―北尾派の浮世絵師としての鍬形A斎」注■図録所収。今井金吾校訂『定本武江年表』中,ちくま学芸文庫,2003年 より引用。―305―図版出典図8『秘蔵浮世絵大観 別巻 チェスター・ビーティ/ケルン/アムステルダムヨーロッパ浮世項による。3,1972年。絵手本シンポジウム」(金沢美術工芸大学,2005年)によって知った。篇』勉誠出版,2002年。絵手本シンポジウム報告集』,2007年。ただし『画図絶妙』の刊年は不明。

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