セザンヌの水浴図研究―310―研 究 者:東北大学大学院 文学研究科 博士課程後期 工 藤 弘 二はじめにポール・セザンヌが生涯を通じて追求したテーマである水浴図は、裸体をめぐるトポスとしてこれまでの研究において論じられてきた(注1)。これらの見解は後述するいくつかの理由によって、的を射ているように思われる。いっぽうで水浴図にまつわる風景をめぐるトポスにかんしての議論が等閑に付されているきらいがある。本論の目的は、画家の制作した水浴図というテーマにおける最初期の作例である《岩場の水浴の男》〔図1〕にまつわる問題を再検討することによって、風景としての水浴図という文脈を新たに議論の対象とすることにある。《岩場の水浴の男》を制作した画家は当時、いくどかの機会にこの文脈に触れることができた。セザンヌが参照可能であった諸作品を中心とした作例を具体的に提示した上で、風景をめぐるトポスとしての水浴図にかんする議論を展開していく。《岩場の水浴の男》について現在《岩場の水浴の男》という題名で知られている作品は、リウォルドの油彩作品目録の第29番に該当する(注2)。縦長のカンヴァスの中には右手を伸ばしながら堂々と佇む裸体の人物が描かれている。人物の描写に使用された大胆な筆触は、この時期の画家に特有のものだ。だが仔細に作品を観察すると、どうやら背景には岩山や木立の一群の描かれた風景が、裸体の人物像とは異なった方法で描写されていることがわかる。この筆触の相違はセザンヌ自身による後年の加筆を意味している。画家は自らの最初期の画風(1862−64年)を示していた風景表現に、ギュスターヴ・クールベの《水浴の女たち》〔図2〕に由来する裸体の人物像を、まったく新たな描法で加筆(1867−69年、おそらくはさらに早い)したのだ。一、二度のパリ滞在を挟んだおよそ五年後の加筆には、画歴の最初期に培った絵画上の伝統に対してではなく、1853年のサロンにおいて物議を醸したクールベに由来する絵画上の革新に対する画家の関心が如実に現れている。しかしながら、初期時代の画家が心酔したクールベに由来しているとはいえ、そもそもなぜ水浴者というモチーフは、この風景の中に加筆されなければならなかったのだろうか。この点を考察するために、背景の風景が制作された当時の状況を再検討する必要がある。
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