鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―311―ジャ・ド・ブファンの大広間の装飾について―一日の時間の表現―《岩場の水浴の男》はそもそも、1859年に画家の父が購入し、家族の別荘としての役割を担った邸宅、ジャ・ド・ブファンにある大広間の装飾画の一部であった〔図3〕(注3)。父の死後、1899年にこの邸宅とともに売却されたのち、この装飾画は分割の憂き目に会い、現在の状態に至っている。そのため加筆以前の風景を検討するにあたって、別荘の装飾というコンテクストを念頭に置かなければならない。画家の父の肖像画を中心として、アルコーヴには擬人像を使用した四季の寓意図が置かれるなど、ジャ・ド・ブファンの大広間には多くの絵画が配されていた〔図4〕。この大広間の装飾を細部にわたって議論する余裕はないが、問題の装飾画の考察に寄与するのが、対面に配置された《釣り人のいる風景》〔図5〕と《城の入り口》〔図6〕という作品である。釣り人のモチーフや舟のモチーフ、そして描写に使用された特徴的な光の表現が示しているのは、《釣り人のいる風景》が一日の時間の相違を表現する場面の一つである〈夕〉の伝統に与した風景装飾であるということだ。また隣に配置された《城の入り口》は、その光の表現から判断して〈朝〉の伝統に与した作品としての可能性がある(注4)。一日の時間の表現はルネサンス以来、四季図や月暦図とともに、一連の風景表現として人気を博したものである。〈朝〉、〈昼〉、〈夕〉、〈夜〉の四場面の連作として描かれる場合が主であったが、それぞれの時間の特徴を描き分け、その効果の多様性を活写することを目的としていた。多くの画家がこの一日の時間の表現を描写しているが、19世紀の事例としてテオドール・ジェリコーの連作などが目を引く(注5)。問題の装飾画の向かい側に描かれた〈朝〉と〈夕〉としての風景表現が物語るのは、一日の時間の表現の伝統にかんして、初期時代の画家が何らかの関心や知識を有していたということだ。作品の大きさや形式、そして配置状況を鑑みると、現存するこれら三つの風景装飾が当初、一貫した体系のもとで制作された可能性すらあるが、問題の風景装飾は、加筆と分割に加え、現在では部分的にしかその色彩を確認することができないため、慎重を期さなければならないであろう。風景としての水浴図一日の時間の表現を用いた風景装飾を制作するにあたって、セザンヌの直接の着想源となったのは、雑誌の挿絵、あるいは版画ではないかとの推測がなされているものの、いまだにその特定には至っていない。ここでこの表現の伝統に与しており、画家が参照可能であった作品を検討するのは無駄ではあるまい。その作品とは、様々な機

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