―312―会に室内装飾としての一日の時間の表現を手がけたクロード=ジョセフ・ヴェルネの《水浴の女たち:朝》〔図7〕である。1773年のサロンに展示されたヴェルネの作品はそもそも、ルヴシエンヌにある別荘の装飾画としてデュ・バリー公爵夫人によって注文された四場面の中の一つとして、〈朝〉の意味を担っていた。ヴェルネの作品が所蔵された19世紀の後半におけるルーヴル美術館への模写の申請記録を参照すると、ジャ・ド・ブファンの風景装飾の制作時期(1862−1864年)に二度(1863年11月20日、1864年4月19日)、それから裸体の人物を加筆した時期(1867−69年、おそらくはさらに早い)に一度(1868年2月13日)ほど、セザンヌが模写の申請をしたことがわかる(注6)。青年期の修業時代、パリを訪れたさいに、画家がルーヴル美術館を訪れていたという事実を端的に物語る記録である。また後年のことであるが、セザンヌが実際にこの作品に関心を示したという事実も知られている(注7)。別荘の装飾としての役割を終え、当時ルーヴル美術館に所蔵されていたヴェルネの作品は、樹木や山岳風景、城、舟、岩、滝、そして水など、風景を構成する様々な要素から成り立っている。ここで一際目を引くのが、〈朝〉の効果を表現した風景の登場人物として、多くの水浴者たちが登場しているということだ。1771年のサロンに「日没の風景」として展示された《水浴者のいる風景》(1770年、オクスフォード、アシュモリアン美術館。)に多くの水浴者が登場していることからも、ヴェルネがこの表現を行うさいに、水浴者のモチーフを使用することが度々あったことがわかる(注8)。加えてヴェルネの追従者であった、いわゆるアンリ・ダルルの〈夜〉(注9)や、さらには制作年代の下ったジェリコーの〈夕〉〔図8〕などにも水浴者のモチーフが描かれていることを考慮に入れると、一日の時間を表現した風景の伝統において、この水浴者というモチーフを導入することが、それほど珍しいものではないことが伺える。ところでプロヴァンス地方で広く流通する(注10)とともに、画家の参照源として知られている(注11)シャルル・ブランの『全流派画人伝』の「フランス画派」の第三巻にも掲載されていた(注12)ヴェルネの版画〔図9〕(注13)を参照すると、風景の中の登場人物として水浴者を使用することが、一日の時間の表現の伝統に限られたものではないことがわかる(注14)。当時ルーヴル美術館に所蔵されていた(注15)ローラン・ド・ラ・イールの制作した水浴図〔図10〕、またはヤン・ファン・ハイスムの水浴図〔図11〕もこのことを例証している。これらの作品に共通しているのは、水浴者のモチーフという裸体の人物が描写されるにせよ、その第一の目的は風景の描写にあったということだ。水浴者のモチーフは、城や山、そして樹木と同等の資格で、
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