■Ibid., pp. 74−83.■Gary Tinterow, “Gericault’s Heroic Landscapes : The Times of Day”, The Metropolitan Museum of Art John Rewald, The Paintings of Paul Cézanne : A Catalogue Raisonné, vol.1, New York, 1996, pp. 73−―316―注主要なもののみ以下に挙げる。水浴図に描かれた裸体の人物像の参照源を明確にした研究として次のものがある。Gertrude Berthold, Cézanne und die alien Meister : Die Bedeutung derZeichnungen Cézannes nach Werken anderer Künstler, Stuttgart, l958. 形式主義に対する批判の嚆矢となったシャピロの精神分析学的な方法論の系譜に位置し、画家特有の裸体表現を契機として、記憶、不安、欲望の領域に意味を見出した研究として以下のものがある。Theodore Reff,“Cézanne’s Late Bather Paintings”, Arts Magazine, vol. 52, no.2(October 1977), pp. 116−119. MaryLouise Krumrine, Paul Cézanne : The Bathers, Basel, 1989. 裸体に由来するセクシャリティなどを論じた研究として次のものがある。Tamar Garb, “Visuality and Sexuality in Cézanne’s LateBathers”, Oxford Art Journal, vol. 19, no.2(1990), pp. 46−60.■ジャ・ド・ブファンの大広間の装飾については以下の文献を参照。島田紀夫「セザンヌの初期作品〔上〕―ジャ・ド・ブファンの居間の壁画について―」、『実践女子大学美学美術史学』、第1号、1986年、73−88頁。Mary Tompkins-Lewis, “Les Peintures de Cézanne au Grand Salon du Jasde Bouffan”, dans Denis Coutagne, Jas de Bouffan : Cézanne, Aix-en-Provence, 2004, pp. 68−93.■Theodore Reff, “Copyists in the Louvre, 1850−1870”, The Art Bulletin, vol. 46(December 1964), pp.れたきらいのあった、風景をめぐるトポスとしての水浴図もまた確実に存在していた。もし画家が風景としての水浴図という文脈に対して注意を払っていたのであれば、別荘の装飾として制作された風景の中に水浴者のモチーフを導入することは、加筆のさいの導入の方法が極めて意図的であったにせよ、その導入自体はそれほど不自然なものではないように思われる。このような意味において《岩場の水浴の男》には、加筆や後年の分割によって前景化した水浴図にかんする裸体をめぐるトポスと、室内装飾に対する検討から導き出された水浴図にかんする風景をめぐるトポスを、すなわち二つのトポスを確認することができる。同時代の一般的な文脈と軌を一にして、裸体をめぐるトポスに対して後年の画家もまた強く興味を抱いたいっぽうで、《休息する水浴の男たち》〔図18〕のような作品に示されているように、風景をめぐるトポスを抜きにして、生涯を通して固執した水浴図を語り尽くすことはできない。《岩場の水浴の男》において単に裸体の加筆にのみ注目するのではなく、その加筆がどのような環境で、どのような作品の上に施されたのかという点にまで考察を加えた結果浮かびあがるのは、一連の水浴図の最初期の作例におけるこの二つのトポスの相克であると思われる。74.Bulletin, vol. 48, no.2(Winter 1990/91), pp.1−76.
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