鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―25―子とその上のリュート、左後方の窓の一部や左手前の床に置かれた楽譜などが、貼り付けられていることが判明した。また、エスキースの画面内にはピンホールが多数あり、小磯が切り取った人体デッサンの貼り付け位置を定めるために試行錯誤を重ねていたことがうかがえる。と同時に、作品の上下にも余白としての紙の継ぎ足しがなされるなど、背景を含めた構図のバランスや画面全体の空間構成についての模索が慎重に行われていたことも、新たに確認された。そして、《絵画》よりも《音楽》の方に切り貼り箇所が多いことについては、「音楽家たちが集まって、彼らがどういう状態か、ぼくは知らないものですからね。そういうこともあって、心配だったんです」(注6)と語る小磯良平の、苦労の大きさがそのまま反映されていると考えてよいであろう。その甲斐もあってか、全体エスキースとして最終段階に差し掛かった時期のこの2点の構図は、完成画面にかなり近いものとなっている。モデルを前にしての制作と壁画の完成群像大作である《絵画》と《音楽》の画中では、それぞれ10人以上の人物が螺旋を描くように集っている。しかし、よく観察してみると、主として登場する人物は若い男女の2人のみであり、この2人が同じ画面内に多数存在して群像を構成している。このように1人の人物を画中に複数配する手法は、小磯良平の作品においては戦前より繰り返し試みられていることである。そして、各人物の配置の巧みさとともに、モデルの個性が前面に出ることを極力排した小磯芸術の特徴により、同じ人物が複数登場することからくる違和感は、画中において最小限にとどめられている。ここでモデルを務めた女性は、小磯の画業を陰から支え続けた大阪の画廊に勤務していたことが縁となり、《絵画・音楽》のみならず、1970年代のほぼ全般にわたって、小磯良平の様々な作品に登場している。繰り返し描かれたことを通して、女性像を生涯のテーマとした小磯芸術の、円熟期を支えたと言っても過言ではないが、残念ながらこの美しい女性モデルは若くして他界している。また、男性のモデルは、新制作展への出品を現在も続けている桑田義郎氏である。そしてこのたび、桑田氏より直接話をうかがう機会を得た。当時関西に住んでいた桑田氏は、大阪市立美術館内で関西新制作の公募審査を手伝った後に小磯良平から声をかけられ、《絵画・音楽》のためのポーズを取ることになったという。人物画を得意とする画家たちの、モデルに対するこだわりは一般に強い傾向があるが、小磯も勿論例外ではない。桑田氏の場合、その長身でスマートな体躯と端正な顔立ちが、小磯良

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