鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―26―平の目に留まったものと思われる。一連のエスキースは、全て神戸市東灘区にある小磯アトリエで制作された。そして約1年の制作期間のうち、構想を練っていた時期から本制作の初期にかかる最初の8ヶ月ほどの間は、原則として月曜日から金曜日までの毎日、男女2人のモデルを前にしての制作が続けられたという。小磯良平が本制作に入る前の段階で、相当な労力を費やしていた様子が桑田氏の貴重な話からも見えてくるが、小磯自身も壁画が完成した年に前年の作業を振り返り、「制作に当たっては、昨年5月から夏ごろまではデッサンにひたすら励みました。それまではキャンバスを張ったり、いろんな準備段階だったわけです。秋ごろになって、本作品にとりかかりました」(注7)と語っている。そして、筆致からも推測されるとおり、エスキースの制作は実際手早かったようである。中間色の素描がまずなされた後、立体感を出すために濃い目のシャドゥ部分が加筆され、最後に明るい部分が描かれた。基本的には10分間隔でモデルにポーズと休みを交互に取らせての制作であったが、小磯の調子が出てくると、体勢の困難さにかかわらず、15分、20分と熱のこもった制作が継続されていったという。このようにして描かれたエスキースの一部は、小磯自身の依頼により、モデルたちによって切り抜かれたりもした。そして、確認されているだけでも40数点にのぼるこれらのエスキース群において、最終画面に直接反映されているものはほんの一握りにすぎず、ほとんどの素描は、制作過程における小磯良平の模索と苦悩の証しとして、現在その姿をとどめている〔図9・10〕。同時に、紙上で確かなデッサンが施されていることにより、それぞれが下絵の概念を超えた、一つの独立した素描画としての完成度の高さを誇っているとも言えよう。また桑田氏によれば、本制作の現場において、《絵画》と《音楽》の2作品はアトリエ内の壁面に常に並べた状態で描かれていたようで、小磯良平が、両作品を個別のものとしてではなく、一貫して同一作品の左右部分として扱う姿勢を示していたことがうかがえる〔図11〕。そのような中、創作の終盤において、《絵画》の左手前で髭をたくわえシャツをまくったジーンズ姿の男性が、さらに少し前に出る形で正面向きに描き直され、《絵画》のみならず《音楽》を含めた2作品全体の前景を担う役割を果たすように変更されている。同時に、画面全体から威厳ぶった雰囲気が一層拭い去られ、より心地よい清新さが感じられるのである。また、最終画面に近い《音楽》の写真も残されているが、こちらにおいても、本制作が大詰めを迎えてから、小磯良平が画面の変更を相当行っていることが確認される〔図12・13〕。最終調整に近い2枚の写真の比較では、手前の椅子に置かれるリュート

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