鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―334―「盲目のヴィエル奏者」図像の伝統的表現と盲人蔑視の感受性16世紀から17世紀初期までの「盲目のヴィエル奏者」はペジョラティフな意味をもつ主題として描かれた。例えばボスは、聖アントニウスを誘惑する輩のひとりとしてヴィエルを腰に吊り下げた盲人を描き〔図3〕、ピーテル・ブリューゲル(父)は《死の勝利》にヴィエルを奏でる骸骨を描いている。またカトリック改革期に、いかがわしい説教への盲目的服従に対する警鐘を表す図像としてしばしば描かれた「盲人の寓話」にもヴィエル奏者が登場する。ここでは目は信仰心の喩えとされており(注5)、盲目は罪の結果としても認識されていた。このような盲人蔑視の感受性は、罪と盲目の因果関係に加え文学や演劇の影響も強く受けている。主人公の盲人は大げさに人々の哀れをそそり、施しで私腹を肥やす欺瞞に満ちた存在として描写され、しかし最後には付添いの少年に欺かれ一切の財産を奪い取られるというコミカルな物語が13世紀以来繰り返されてきた(注6)。こうした茶番劇はその後数世紀にわたって市や世俗の劇場、聖史劇の幕間で演じ続けられた。また、物乞いの増加が社会問題化した16世紀には偽の物乞いに対して注意を喚起する著作も相次いで出版された。もっとも有名な『放浪者の書』には28種類の偽の物乞いが列挙されており、そのなかで偽の盲人は4種に分類されている。17世紀初期の「ヴィエル奏者」の図像表現には、このような当時の人々の盲目の物乞いに対する、警戒心や懐疑心、蔑視や嘲笑の感情が明白に表現されている。ブリューゲル(父)に基づく《盲人の喧嘩》〔図4〕には闇雲に杖を振り上げ見えない喧嘩相手を探る盲人たちの粗暴で愚かな姿が描かれ、ブリューゲル(子)の工房による《ヴィエル弾きと子供たち》〔図5〕ではヴィエル奏者の出で立ちはもとより、彼に群がる子供の幾人かはまるで大人をそのまま小さくしたようにも見え、彼らの周辺で突如巻き起こる興奮と相まって画面は異様な雰囲気に包まれている。また孤高の放浪者とでもいうように町外れにたたずむアドリアーン・ファン・デ・フェンネの作品では社会から逸脱したマージナルとしての姿が強調され、ラゴの《村人の婚礼》では花嫁はその衣装から娼婦のように見え、ヴィエル弾きも盲目というよりはこちらに向かってウインクしているようであり、欺瞞や嘲笑の感情があらわにされている。ラ・トゥール以降の作品における伝統的意味からの乖離ラ・トゥールがロレーヌの先行例に造形的な側面で負っているとすることに異論はない。しかし意味の上でも伝統的な盲人蔑視の感受性を引き継いでいるだろうか。ベランジュの奏者は白目を剥いて不穏な雰囲気をかもし出し、カロの奏者は狡猾そうに

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