―335―片目を大きく見開いている。これら対しラ・トゥールの奏者は先行研究でしばしば指摘されるように、《悔悛の聖ヒエロニムス》〔図6〕と近似した堂々とした姿をしており、この主題につきものの卑俗さは影を潜めている。このような意味の断絶は17世紀中期以降の作品に共通して確認できる傾向でもある。ル・ナン兄弟の《農民のいる風景》〔図7〕はヴィエル弾きが目の見える少年として描かれている点ですでに伝統から遠ざかっており、社会に受容される現実の物乞いの姿が表されているように思われる。行列の画家による《雄羊の行列》も幾分の理想化や古代志向が見られるとはいえ、当時の風俗をありのままに伝える作品といえよう。この画家は《ヴィエル弾きの集い》という作品も描いているが、いずれにも盲人に対する軽蔑のまなざしは表現されていない。北方の作品にも同様の意味的変化が認められる。ダーフィット・テニールス(子)の《村の祭り(ケルメス)》〔図8〕はその過熱した騒ぎの様子から先に参照した《ヴィエル弾きと子供たち》〔図5〕を彷彿とさせるが、ケルメスの日の祭りでは戸外で慈善バザーが行われることもあり、風に翻る旗にヴィエル奏者と思しき人物が描かれていることからも慈善的な意味が想像される。またこの奏者はもはや放浪者ではなく村人の踊りのために演奏する楽師として描かれていることから、16世紀的な意味からは免れていると捉えられる。レンブラントの《戸口で施しを受けるヴィエル弾きとその家族》〔図9〕とヤーコブ・ファン・オホテルフェルトの《玄関先の辻音楽師たち》〔図10〕は、それぞれ大きく印象の異なる作品であるが、いずれも慈善家の落ち着いた様子や思慮深い表情から慈善の称揚や市民の美徳を表す主題であることが推測される。ところでラ・トゥールは1620年代から40年代までに、ヴィエル奏者をモティーフとして3つの異なる主題を描いた。1つ目は5人からなる群像の《辻音楽師の喧嘩》〔図11、同図のコピーがシャンベリーの市立美術館に所蔵〕であり、盲人蔑視の感情が表現されている。2つ目は上記、行列の画家と同じ主題の「楽師の集い」〔図12〕、そして3つ目が単身像の奏者である〔図1、2〕。これらのうち、ラ・トゥールは画業の初期にペジョラティフな意味をもつ喧嘩の主題を描き、のちに単身像の奏者を描いたと推測される。他方1630年代中葉から40年代後半まで、十数年にわたりこのモティーフを繰り返し描いたレンブラントの作品にも漸次的な意味の変化が認められることが指摘されている。すなわち、初期には多少なりの恐怖心や懐疑心を喚起させる奏者を描いたが、1640年代の作品、例えば1641年の《子供たちに囲まれたヴィエル弾き》では、女性が微笑む表情をしていることから歓迎される奏者として描いていると
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