鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―336―いうのである(注7)。ふたりの画家は、ラ・トゥールがわずかに先行しているとはいえ、主題の意味変化という点で同調している。以上から、ヴィエル奏者を粗野で欺瞞に満ちた偽の物乞いとして描く伝統は17世紀中期を境に薄らいでいき、慈善や市民の道徳を示す主題、祝祭や宴の風俗へと変化していったことがわかる。特に、フランスではカトリック改革期の貧民主義(ポーペリスム)に敏感であったラ・トゥールやル・ナン兄弟がこの主題を取り上げ、北方では慈善を称揚する主題として描かれている点に注目すべきであろう。そしてこのような主題変遷の背景にはヴィエル奏者を含む貧民に対する感受性が、蔑視から受容へと変化したという経緯があると考えられる。そこで、貧民に対する理解の変化を慈善の観点から以下に確認したい。共存から排除へ、そして受容へ、ふたつの拮抗する感受性(注8)キリストが貧しき民と共に生きたことから、中世には貧民を神に最も近い人物として神聖視する感受性があった。貧民への奉仕はキリストへの奉仕に等しく、貧民は救済をもたらす「神との仲介人」と捉えられていた。ところが戦争や災害によって貧民が増加すると彼らの存在は社会問題化する。貧民は救済もたらす「良き貧民」と怠惰の罪の烙印を押された「悪しき貧民」とに区別されるようになり、慈善家は「良き貧民」を識別する必要性に迫られた。そのため、偽の物乞いの見分け方を記した『放浪者の書』のような指南書が数多く出版され、その挿絵となるような図像が多く必要とされたのだろう。しかし貧民の識別は容易ではなかったため慈善事業の集団化が推進される。1526年にブリュージュで出版された人文主義者フアン=ルイス・ヴィヴェスによる『貧民への援助』はヨーロッパ中で受け入れられ、16世紀以降における慈善のありかたを大きく変えることになった。そして慈善施設で聖職者や役人が個人の慈善家に代わって「良き貧民」を選別するようになる。その結果、救済の観念に基づく貧民と慈善家の繋がりは弱まり、さらに貧民が社会道徳の領域において理解されるに至って「キリストの伴侶」としての聖性は徐々に剥奪されていく。他方カトリック教会はトリエントの公会議で慈善事業への聖職者介入の意思を表明した。そしてカトリック改革期には、ヴァンサン・ドゥ・ポールやジャン・ユードらの指導者が慈善の行いを奨励したことによって「キリスト教徒の義務」という伝統的な観念が一般信徒の間で再び蘇る。ラ・トゥールが活躍したロレーヌ公国でも同様の伝統的関係を見ることができる。1608年に行われたロレーヌ公アンリ2世の葬儀には、300人ものナンシーの貧民が集められ葬送行列の最後尾についた(注9)。またロレー

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