鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―337―ヌにおけるカトリック改革の第一人者として名高く、いくつもの慈善事業をおこしたピエール・フーリエ司祭はある夫人の重病に際し、この病を癒すことができるのは貧民だけだと考えた。そして夫人の施しの見返りに貧民たちが祈ったことにより夫人は3日ののち回復した(注10)。カトリック改革の「東の砦」といわれるほど熱心なカトリック教国であったロレーヌではラ・トゥールの時代、貧民を「キリストの伴侶」とする感受性が人々の心の中に確かに存在したといえるだろう。罪人から「貧しさ」の象徴へ貧民と慈善家の中世的な共存関係の復活をもっとも雄弁に語るのは、フセペ・デ・リベラの作品だろう。《盲目の物乞いと少年》〔図13〕は悪漢文学に馴染み深い組み合わせで描かれているにもかかわらず、明るく光を受けた盲人の顔は法悦の聖人を思わせる。この作品は同時期に描かれたとされる宗教的主題《少年キリストと聖ヨセフ》〔図14〕と明らかに類似しており、揶揄や嘲笑、恐怖心などの感情は全く認められない。そして、老人が持つ容器に貼り付けられた紙には、レクイエムから引用された「最後の審判」を想起させる銘文が記されている。リベラはほかにも障害者や老人など物乞いを主人公とした、慈善心を喚起させる銘文付きの作品を描いている。ナポリで活躍したこの貧民主義の画家はまた、ラ・トゥールの奏者に込められたもうひとつの重要な意味を明らかにしてくれる。すなわち貧民がまるで聖人の品格を備えているかのような姿で描かれる理由である。ラ・トゥールの奏者は自らの顔が醜く歪んでいるのにも気づかず一心不乱に奏で吟唱している。それは己の運命を受け入れ、肉体に課せられた苦難に耐え克服しようとする姿であり、荒野でひとり自らの精神と肉体に試練を課す聖人の姿に重ね合わされる。一方は物乞い、他方は聖人であるが、いずれも当時「最も偉大な美徳」として高度に理想化された「貧しさ」(注11)が表現されていると思われる。つまり貧民主義は聖人を貧者の姿で表すだけでなく、貧者に聖人の品格をも与えたのである。そして主人公が盲人であることはさらに重要な意味を持つ。それはカトリック改革期の神秘主義の興隆を背景に、盲人に対する新しい理解が広がり始めたことに起因する(注12)。つまり、観想的生の中で魂の内なる目で真理を見つめるためには視覚は妨げになるとされ、したがって常日頃から闇に親しむ盲人こそが神に選ばれた観想のモデルと捉えられたのである。17世紀にはジャン・ドゥ・サン=サムソン(1571−1636)のように盲目でありながら学問を習得し、その思想を著すに至った人物がひとりならず知られ、彼らは精神的指導者として聖職者や宮廷人、敬虔なブルジョワジー

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