―338―「大いなる閉じ込め」と「ヴィエル奏者」に熱意をもって受け入れられた。彼の伝記には「神が彼の身体に視覚をお与えにならなかったのは、この世の出来事を見知るよりも永遠について心で瞑想することが相応しいと思し召しになったからである」と記されている(注13)。このような盲目の指導者は天啓を受けるに足る無垢な心の持主と見なされ、完全に罪の観念から解放された存在として理解されたのである。ロレーヌにはスペインの神秘主義思想をいち早くフランス語に訳し紹介した隠修士ピエール・セガン(1558−1636)がいた。ロレーヌ公の一族や宮廷人に庇護され、ナンシー近郊に庵を構えたこの隠修士は、ロレーヌの人々の霊的指導者となり、この地に神秘主義を浸透させた(注14)。ところが実際には、ラ・トゥール作品からリベラやレンブラントのような明白なメッセージを読み取るのは容易ではない。それは不特定多数の一般信徒を観者として想定していなかったためではないだろうか。単身像の「ヴィエル奏者」のいくつかがナンシーの上流階級や修道院に所有された来歴を持つことも併せて考慮すれば、宗教思想に敏感で盲人に対する新しい感受性をいち早く受け入れた社会層、貧民の援助に積極的であった裕福な階級やそれを指導する聖職者などが注文主あるいは観者であったと推測できるからである。現にヴィエルのカヴァーに描かれた一匹の蝿が、このようなトロンプ・ルイユのトポスを解する人物に向けられた作品であったことを何よりも如実に物語っている〔図15〕。さて、ラ・トゥールやル・ナン兄弟と行列の画家のあと、しばらくの間「ヴィエル奏者」はフランスの画家にはあまり顧みられなくなる。次にこのモティーフが現れたのは18世紀の初期、ジャン=アントワーヌ・ワトーの雅宴画においてであるが、それは宮廷での田園趣味を反映し、意味においても趣においても全く異なる主題へと変貌していた。同様に17世紀の後期以降、ラ・トゥールやル・ナン兄弟の貧民の主題も受け継がれなくなる。フランスにおける貧民救済の歴史は共存から排除へ、そして宗教的慈善へと変化し、さまざまな心的葛藤を経て17世紀の後半に大規模な国家統制、いわゆる「大いなる閉じ込め」に踏み切ったことで、他のヨーロッパ諸国とは異なる道のりを歩んだ。この政策によって盲人たちも一般施療院に監禁されることになる。フランスでは13世紀の聖王ルイの治世以来、盲人はほかの身体障害者や貧民とは区別され優遇されてきた長い歴史がある。しかし監禁と同時に彼らの特権は剥奪され、神の声を聞く者としての神聖さは「閉じ込め」政策において何ら考慮されることはなかった。フランス中央部
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