―346―的な表現が顕著である、先述した図1の太枠部分に相当する、第二から第六の対観表までを対象にする。まず、第二の対観表最初のページである(図1内、f.397v.)。マタイ、マルコ、ルカいずれも、獣頭人間型で描かれている。マタイとマルコは右端のルカの方に体を向け、右手を差し出している。右端のルカは右腕を一杯に差し伸べ、積極的に発言しているかのようである。この表現は『1162年の聖書』でも踏襲され、マタイは軽く両手を胸前に添え、マルコは両手を胸前で交差させているのに対し、ルカだけは肘を伸ばして描かれている(f.64)。対観表の章句の内容は、キリストの生涯の前半、ガリラヤでの活動の記述が目立つ〔表1−a〕。キリストの幼年時代の記述を多く含むルカの福音書が、そのシンボルの雄牛によって他の福音書を導いているかのようである。次に、第二の対観表二番目のページである(図1内、f.398)。ここでは翼がなく、獣のシンボルで描かれたマルコの獅子とルカの雄牛とがともに、マタイに頭を向け、あたかもその説教を大人しく聴いているように見える。対観表の章句は「山上の説教」など、喩えを用いたキリストの様々な説教である〔表1−b〕。『1162年の聖書』では小さく描かれた獅子と雄牛が手を掲げるマタイを見上げるように描かれ(f.64v.)、説教の場面と解釈されよう〔図3〕。そして第二の対観表最後のページ(図1内、f.398v.)では、通常マタイ、マルコ、ルカの順番で比較されているはずが、マタイ、ルカ、マルコの順番になっている。これは、福音書記者のシンボルと章句との配置が対観表の一部で食い違う『920年の聖書』を例に、単なる配置ミスだという指摘もされたが(注4)、『960年の聖書』ではアーチ上方の福音書記者像ばかりではなく、該当する対観表の章句一覧までもが動かされており、意図的な変更であろうと考えられる。中央に配されたルカに、獣頭人間型のマタイとマルコが両側から手を触れんばかりに伸ばしている。とくにマルコの指は長くルカの顎の下、喉元近くにまで伸びており、ただならぬ様子である。対応する対観表の章句は、キリストの生涯の後半、「最後の晩餐」や「十字架上での死」が中心である〔表1−c〕。ここで雄牛が犠牲のシンボルであることを考える、とこの三者の図像は、囚われ、侮辱されるキリストの受難を暗示するのではないだろうか。左右の人物から手を伸ばされて侮辱されるキリスト伝の図像は、975年に制作された黙示録註解写本に類似した作例が認められる(注5)。第三の対観表では、マタイ、ルカ、ヨハネはそれぞれ獣のシンボルで描かれているが、ルカのみ翼を持たない(図1内、f.399)。『1162年の聖書』では、左右のマタイとヨハネが獣頭人間型で、中央のルカのみが獣のシンボルで描かれ、その差は際立っている(f.65v.)。また、〔表2〕において灰色で色分けされた部分は、ルカの章句119
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