鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―349―ジ構成の対観表を13ページ構成に変更した結果、第四の対観表の、獅子の足にくちばしを触れる鷲の図像と、第五の対観表二番目の、棒を掲げるマタイの図像が省略されることになった。しかも同写本は1ページに複数の対観表を縦割りに詰め込んだため、アーチの内部には同じ福音書者像が獣のシンボルや獣頭人間型で、二対存在することになった。空間が狭くなった分、身振りは省略され、翼の有無や、獣のシンボルか獣頭人間型かという表現の差異は、それぞれの対観表の目印としては有効であっても、『960年の聖書』の福音書記者像が織り成す、緊張をはらんだシンボル同士の対立関係は失われてしまった。『960年の聖書』の17ページ構成は前半までは伝統的な16ページ構成の対観表と同一であるが(注12)、本来ならば2ページである第五の対観表が3ページ構成とされたため、特殊な構成となっている。この変更はページが節約できなかったためと説明される(注13)が、報告者はこれを構成上の意図的な変更であったのではないかと考えている。その理由は、図1に見るように、それぞれの対観表を左右一対として見たとき、左ページに無翼の獣のシンボル、右ページに有翼の獣頭人間型の福音書記者像が置かれる、という傾向がうかがえるためである。このことは以下の二点から注目すべきである。一つは、翼の有無による意味上の変化である。ノルデンファルクは有翼の福音書記者像を天上的、無翼のものを地上的と解釈したが(注14)、それに従うと左右のページは、それぞれ地上と天上という象徴性をも帯びるだろう。それらの対応関係は、予型論で緊密に結ばれた旧約聖書と新約聖書との左右の対比を思わせる。少なくともそれらは、旧約聖書に始まる救済の物語がこの対観表をはさんで、新約聖書に収斂してゆくという、一巻本聖書である『960年の聖書』そのものの時系列とも対応している。左から右へというテキストの流れは、この対観表を見開いたとき、開かれた左ページの裏には旧約聖書が、右ページの裏には新約聖書がそれぞれページを重ねていることをも思わせるのである。もう一つは、他の聖書写本との類似である。先述した同時代のヨハネ黙示録註解写本、いわゆるベアトゥス本の一部には、その巻頭に図4のような福音書記者像のシンボルをアーチ内にいただく見開きページ構成の挿絵が挿入されている(注15)。アーチの下部の聖書を捧げ持つ人物像や天使の解釈は諸説あるが、アーチ上部で福音書記者像が左右で一対の構成となっている点は全ての作例に共通している。図4に登場した有翼で聖書を持つ福音書記者像のシンボルは、ほぼ制作年代を同じくする945年制作の大グレゴリウスの『ヨブ記註解』の「荘厳のキリスト」図像にも登場する〔図5〕。この写本はまた『960年の聖書』と同じ作者フロレンティウスによるものである。図5の福音書記者像は車輪に乗り、ケルビムと二天使とともにキリストを囲んでいる。

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