鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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屏風画―支配層による鑑賞―357―1〕と、青系の服を着て赤い飾りの付いた笠をかぶる吹鼓手の打楽器奏者〔図1−2〕と細楽手〔図1−3〕がいる。後者の青い服と笠は、槍手や砲手などの武人たちと共通している。通信使行列ではないものの、日本の使臣を迎えるために倭館へと向う釜山の東莱府使の行列図《東莱府使接倭使図》からも、また、日本人絵師の手によるものではあるが服飾資料としての価値を高く評価されている《通信使服飾図》からも、同様のことが確認できる。これらの記録画から明らかとなるのは、朝鮮通信使の楽隊の衣装には二つの種類があったということである。第一に、吹鼓手の管楽器奏者が身に纏うものである。これは、赤系の服と羽飾りの付いた帽子である。第二に、吹鼓手の打楽器奏者および細楽手が身に纏うものである。これは、槍手や旗手などの武人と同じもので、青系の服と赤い飾りの付いた笠のセットである。では、日本人絵師による記録画を見てみよう。もっとも古い作品は、第3回の朝鮮通信使が来日した年に制作されたと言われる《寛永朝鮮人来朝図》〔図2〕である。ここに描かれる楽人たちは、全員が赤系の服を着ている。ちなみに、旗手や槍手などの武人は青系の服を着ている。狩野永敬作の《朝鮮通信使行列図巻》に描かれた楽人たちを見ると、吹鼓手は赤系の服を着ており、細楽手は様々な色の服を着ているものの、槍や偃月刀を手にする武人たちの服装と類似している。また、《正徳元辛卯年朝鮮国之信使登城行列図》においては、吹鼓手は赤系の服を着て羽飾りの付いた帽子をかぶり、細楽手は旗手や槍手と同様に青系の服を着て笠をかぶっている。《正徳元辛卯年朝鮮国の信使道中行列図》、《朝鮮国書捧呈行列図巻》、《正徳元辛卯年朝鮮国の信使来聘帰路行列図巻》や、《朝鮮人来聘行列図》においても同様である。このように、記録を目的とする絵巻においては、楽人たちの服装はおおむね事実に即する形で描かれていたことが見て取れる。3.鑑賞用絵画に描かれた楽隊日本の絵画の中で、朝鮮通信使を最初に描いたとされる作品の一つが、バーク本《洛中洛外図屏風》である。これは第2回の朝鮮通信使を描いたもので、内裏周辺〔図3−1〕に輿に乗る正使や、馬に乗る小童などが描かれている。外国からの使節であることを強調するため、方広寺周辺〔図3−2〕に描かれた人物の中には、南蛮屏風に描かれた南蛮人のような服装、すなわち裾の広がったズボンや襞矜の付いた上着などを着用した者がいる(注2)。しかし、楽隊の姿は描かれていない。第3回の朝

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