鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―359―が、時代が下るにしたがって、一部の人物を描いただけで朝鮮通信使を表現する、一種の提喩法的な表現が生まれた。このような作品には、とりわけ楽隊を描いたものが多い。その過程をたどってみよう。奥村政信は、《朝鮮使節行列図》〔図7〕という、第8回か第9回の朝鮮通信使を描いた、12枚綴りの記録画を手がけている。そのうちの二枚が楽隊に当てられている。三使らしき人物や小童を除けば、楽人を含めてすべての人物が同様の服を身にまとっている。また近藤清信の《唐人行列の絵図》〔図8〕では上段に楽隊が描かれている。この作品では、楽人たちの服装は、他の随行員と異なるものとして描かれているが、むしろ控えめである。第11回の朝鮮通信使が来日した年には、鈴木春信が描いた《朝鮮人行列》〔図9〕が売り出された。楽隊による提喩で、朝鮮通信使を表現した作品である。楽人たちは赤や緑の服を着ており、それらは旗手と同じ類の衣装である。朝鮮通信使の来日が回を重ねるに従って、画家自身や購買者たる庶民の関心事がクローズアップされ、一つの場面が切り取られて一枚摺りの作品として成立するようになる。その際の主な主題が楽隊であった。500名程度の行列の中で、60名前後が2つか3つの集団に分かれて行進曲を奏でる楽隊は、人数の上でもひときわ人目を引く一団であったろう。また、行列を見物することは庶民に許されていたが、そこには様々な制約があった(注4)。視覚的に制約を受けていたからこそ、聴覚的な存在感に庶民は心を奪われたのではないだろうか。だが、これらの作品において、楽隊の服装は他の随行員に比して目立つものとして描かれてはいない。4.祭礼に現われた朝鮮通信使の仮装行列(デフォルメされていく朝鮮通信使)朝鮮通信使の楽隊に対して庶民の関心が高かったことは、浮世絵から見て取れるだけではない。各地の祭礼に、朝鮮通信使に扮した仮装行列が出し物として登場するようになるが、それらには、必ずと言ってよいほど楽隊が含まれている。羽川藤永の《朝鮮人来朝図》〔図10〕および《朝鮮通信使来朝図》、奥村政信の《朝鮮人来朝図》、西村重長の《浮絵御祭礼唐人行列図》、そして作者不詳の《朝鮮人通信使来朝図》および《朝鮮人来朝図》といった、よく似た構図の6枚の浮絵がある。これらの作品は、朝鮮通信使が実際に来日していた時期の祭を描いたものである。行列中の人物のほとんどが、楽人や武人といった身分の違いに関係なく同じ衣装を身にまとっている。朝鮮通信使の来日が途絶えて以降に描かれた《神田明神祭礼図》〔図11〕や、さらに後の山王祭を描く『東都歳時記 夏三』においても、楽人と旗手は同じ服を着てい

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