―368―の束」の存在である。この線は、間隔を非常に密に重ねて平行に引かれた線で、時に勢いがついて一本や二本だけ、大きく外に飛び出すような素早いタッチの場合と、定規を用いたかのように丁寧に一定の枠の間を引かれている場合とがある。ミュラーも指摘しているように、『テレンティウス喜劇』の制作時、デューラーはマルティン・ショーンガウアーの銅版画ならびに素描の強い影響下にあり、素描を描く際はショーンガウアーに習って「クロスハッチング」や「鉤型」を多用して、影(暗部)を描いた(注6)。しかし、木版下絵であるこの『テレンティウス喜劇』には、ほとんどクロスハッチングは見られない。代わりに、デューラーが用いたのが「平行に引かれた陰影線(Parallelschraffur)」である(注7)。今回の調査の結果、『テレンティウス喜劇』素描においてデューラーがこの平行の線を使うのは、大きくわけて三箇所に限定できることが分った。1つは、人物や建物に立地点を与える影としての線。二つ目は、岩や地面を表す際の線、そして三つ目に、人物の輪郭を際立たせるための線である。以下、デューラーの木版画の発展を考えた場合に、非常に重要な役割を担っていくと思われる「平行陰影線」が、どのような形で『テレンティウス喜劇』挿絵に用いられているかを具体的に明らかにしたい。Ⅱ 男性人物像の足元にみられる線男性人物像の立地点を明確にするため、靴につけられた影としての平行線の典型的な作例を「アンドロスの女」第一幕第二場(Z. 426)〔図3〕に見ることができる。画面左手に立つダーウスの靴先は、つま先を起点として線が引かれていて、上の線が特に強く長く描かれ、下に続く線は徐々に短くなっている。このように、靴の爪先、両側、いずれか一方の側面につけられた細く、平行に重ねて引かれた線は、時には縦の方向に、時には横づけされるが、例外なく139枚の挿絵に登場する全ての男性人物像の足元に見ることができる〔図1−6〕。この特徴は、デューラーが『テレンティウス喜劇』素描の手本とした1486年の『ウルムのテレンティウス』〔図7〕と比較するとより一層明らかになるであろう。ウルムの木版挿絵では、人物の足元には一切影がなく、足の輪郭がくっきりと白い背景の中に描かれているからである。ウルムの画家は、従来手本にはなかった背景に、建物を加えた点で画期的であったが(注8)、様式的には輪郭線を中心とした木版挿絵の伝統に則っている(注9)。デューラーが『テレンティウス喜劇』挿絵で既に描いている、これらモティーフの足先の影は、その後デューラーの木版画ならびに銅版画において不可欠の要素となり、
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