青山、2002年、59−61頁を参照。同じ原理が見られるのは、「アンドロスの女」Z. 426, 429, 434, 435, 436, 441, 443, 444, 445, 446,447,「宦官」Z. 451, 453, 456, 459, 460, 463, 464, 465, 466, 467, 469,「自虐者」477, 480, 481, 484,489, 490, 491,「兄弟」493, 496, 501, 「ポルミオ」532, 537,「義母」538, 539, 540, 541, 542, 545,548, 549, 550, 551, 553, 554, 555である。注■を参照のこと。特に、12世紀にイギリスもしくは北フランスで制作されたO写本(CodexBodleianus latinus Auc. F.2. 13)に描かれた人物の特徴ある手のポーズがバーゼルの挿絵にも見られる問題については、青山、2001年、71−73頁を参照のこと。F. Winkler, Bd.1, Berlin 1936, W. 60.このマンテーニャの銅版画とデューラーの模写素描は、1999年に国立西洋美術館において開催された「記憶された身体―アビ・ヴァールブルクのイメージの宝庫」展において、両者とも展示された。 『黙示録』においては、「平行陰影線」は白い雲を際立たせる暗い空として表現されている。また、特に『マリアの生涯』の「マリアの戴冠」(B. 94)の冠を授かるマリア、『大受難伝』の「キリスト復活」(B. 15)においては、光に包まれた復活するキリストを強調する暗部として効果的に使用されている。■前川誠郎『デューラー 人と作品』講談社、1990年、51−52頁。 古典的なデューラーを評価していたH. ヴェルフリン(H. Wölfflin, Die Kunst Albrecht Dürers,München 1905)が、バーゼル時代の木版挿絵をデューラー作品としなかったのは、ある意味で当然であった。―374―輪郭線を中心とした初期の木版画については、展覧会カタログDie Anfänge der europäischen青山、2001年、57−85頁;『遍歴時代のデューラー作品―初期ネーデルラント絵画の影響をめぐって―』、Aspects of Problems in Western Art History, vol.3, 東京、2002年、33−45頁;Aoyama,Ein bisher unbekanntes Vorbild für Dürers »Thronender Greis und kniender Jüngling« ZumEntstehungsprozess der Werke Dürers aus den Wanderjahren, in: Anzeiger des GermanischenNationalmuseums, 2005, 7−24頁を参照。E. Holzinger, >Von Körper und Raum bei Dürer und Grünewald<, De artibus opuscula XL. Essays inRömer, 1927, 94頁を参照。レーマーがデューラー作品としたものは「アンドロスの女」Z. 426,427, 428, 429, 430, 435, 437, 438, 439, 441, 442, 443,「宦官」Z. 457, 461, 472である。レーマーは、残りの挿絵は全て一部を主たるマイスターのものを転写したものか、完全に他のマイスターの作とした。Manuscripts of Terence prior to the Thirteenth Century, 2vols, Princeton 1931)。これらの挿絵において重要なのは、登場人物の見取り図を提示することであり、一人、二人、三人と並置された人物像が対話するポーズで、戯曲の1場面ごとに描かれる。ウルムの挿絵にも見られるように、各々登場人物には、名前が付される。バーゼルの『テレンティウス喜劇』の手本の1つとして、こうした古代末期のプロトタイプを忠実に反映した写本の存在が指摘できる(青山愛香『遍歴時代のデューラー作品』東京芸術大学学位論文〈博美第90号〉、2001年、57−85頁;Aoyama,Dürers “Terenz Illustrationen”(1492). Über die Verbindung zwischen Eunuchus und dessen Exemplum,in: Aspects of Problems in Western Art History vol.5, 2004, 21−28頁)。Druckgraphik, Nürnberg 2006を参照。honor of Erwin Panofsky, New York 1961, 238−258.
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