鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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年10月7日)塩谷純「菊池容斎と歴史画」『國華』1183号(平成6年6月)瀬木慎一『江戸・明治・大正・昭和の美術番付集成』(里文出版、平成12年4月)によれば、明治4年3月発行の『現故書畫不二價』の中にその名が見いだせるほか、明治8年9月改訂の『書画一覽』では行司役として名が記されている。第7回日本絵画協会・第2回日本美術院連合絵画共進会に出品された「素尊」についての評で「纎巧にして[色濃厚ならざるハ奧床しく遉に容齋派の泰斗たるを失はず」と述べられ容斎の画風の継承者であることが当時から認識されている。一方で、第13回日本絵画協会・第8回日本美術院連合絵画共進会に出品された「宗祇」についての評で「此人(楓湖・筆者注)ハ其(容斎・筆者注)糟糠を甞めて大家となつて居る」あるいは「當]ハ容齊風がはやるから其お蔭で中々歡@されるやうになりました」(『都新聞』明治35年11月19日)と述べられるように、容斎の画風継承に対する酷評もなされている。楓湖から金刀比羅宮に奉納された作品は3件4点が知られている。この作品以外の「為朝護白川殿図」(明治29年)と「濱主舞楽・菅公賦詩図」(大正3年・対幅)は、落款の「楓湖敬忠」の後に「謹寫」とある。この表記は、皇孫が描かれた作品になされるもので、十二幅対からなる「十二ヶ月図」(大正期・茨城県近代美術館蔵)のような作品でも、ヤマトタケルを描いた「焼野」だけが「楓湖敬忠謹寫」の落款がなされ、他は「楓湖」もしくは「楓湖敬忠」と記されるなど忠実に原則が守られている。このことから、大物主神と崇徳天皇を祀る金刀比羅宮に―385―注塩谷純「図版解説 ウィーン美術史美術館所蔵画帖」『美術研究』379号(平成15年3月) 注および『「菊池容斎と明治の美術」展図録』(練馬区立美術館、平成11年10月24日)■注に同じ。■山下真由美「概説 沖一峨」『「鳥取藩御用絵師 沖一峨」展図録』(鳥取県立博物館、平成18■伊藤大輔「『神変大菩薩渡唐之図』解説文」『金刀比羅宮の名宝―絵画』(金刀比羅宮、平成16■阿部正「信濃川洪水絵巻」『予防時報』158号(平成元年夏)■『「菊池容斎と明治の美術」展図録』■添田達嶺『半古と楓湖』(睦月社、昭和30年10月)注■に同じ。添田達嶺はその著『半古と楓湖』(睦月社、昭和30年10月)の中で、楓湖が、若い頃尊皇思想で道を誤ろうとした時に導いてくれたのが容斎であり、「一日も師の高恩を忘れぬために、わざと師風を守つて師恩の想ひ出としてゐるのです」と語っていたことについて触れている。のは、容斎風の歴史画を描くことであり、楓湖はその要求に応え続けたのである。現在我々が目にする楓湖作品の大半が市井からの依頼による作品であり、これだけで楓湖を評価することはできない。もちろん、楓湖が展覧会に出品した作品の多くが審査員としてのものであり、その意味では楓湖の出品作は一時代前の作品ということになる。だが、今後も楓湖の展覧会出品作や宮内省関係の仕事の調査を続けることで、その再評価に結びつけることが可能である。年9月)

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