鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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A近代日本における古代彫刻石膏模像の導入・展開について―389――イタリアの事例を踏まえて―研 究 者:信州大学 人文学部 准教授  金 井   直はじめに「古典」あるいは「古典古代」。西洋美術史を通観するとき、わたしたちはこれらの語に繰り返し出会う。ルネサンス文化を支え導いた「古典古代」、16世紀以後のアカデミーの理念を支えた規範化された「古典」、あるいは18−19世紀の新古典主義の流行を可能にした「古代」憧憬。その他、ヨーロッパにおいては幾重にもニュアンスを変えながら、伝統として、テキストとして、あるいは具体的な作例として、芸術家に影響を与え、彼らを制作へと駆り立てた「古典古代」というトポスは、しかし、近代化をいそぐ明治期の日本には、かなり限定的なかたちで移植されたようである。明治や戦前のみの話ではない。この国において、十全な意味での古典古代とは果たして可能だったのか。いまもって(ということは今後も)私たちは、実感や「手触り」をもって古典古代を語ることはできないだろう。やはりそれはあまりにも遠く隔たった理念のように思われる。その一方で、唯一、具体的な経験を伴って、この国に流布する古典古代のアイコンがあるとすれば、それは古代彫刻石膏模像ではないだろうか。中学高校の美術室を覗けばよい。あるいは美術大学への合格を目指す若者が、今なお繰り返し石膏デッサンを手がけている現実を直視すればよい。その不活性の白い表面が、アカデミックな規範の言わば原器として流布し、デッサン教師の指導のもと、生徒学生の視覚と筆法を統御・再編成する様は、多かれ少なかれ、日本の美術界の歪んだ情景のひとつとして語られる。およそ素描芸術としての絵画彫刻からはかけ離れた現代美術の作家たちも、石膏デッサンに励んだ日々を懐旧する。「これで案外うまかったんだ」などと、絵筆とは縁もなさそうなインスタレーション作家が語る様は、まさに日本におけるアートの特殊性を物語る風景である。美大入試と密接に結びつく石膏像に対する愛憎の根深さは、たとえば会田誠のモニュメンタルなスケールの石膏デッサン《ブルータス》や福田美蘭の彩色《石膏像》、眞島竜男によるミロのヴィーナスの《天ぷら》のような現代作家の作品が端的に伝えてくれる。あるいは玩具の分野で石膏像のミニチュアが売り出され、その完成度の高さで好評を博した事実は、石膏像文化の裾野の広さ(現代美術ファンよりも彼らは多数派なのではないか)を明らかにする(注1)。

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