―390―「ベルヴェデーレ」(のトルソ)といった具合に大まかで、呼び分けの方便といった性アイコン化する古典古代とでも呼ぼうか。こうした近現代日本における石膏像受容という「特殊の一般化」のなかで、しかし、見落とされている要素があるように思う。新古典主義期の彫刻を研究対象としてきたせいか、私には気になってしかたのない事実。それは、いまここにある個々の石膏像の示す差異である。教材として遍在するがゆえに、また一定不変のデッサン用モデルとして対象化されるがゆえに、私たちは石膏像を「見ていない」のではないか。優れた石膏デッサンはかくあるべしという先入観によって、像表面や細部の個体差は捨象され、像の来歴も斟酌されない。なるほど主題図像が無視されているわけではないが、それとて「ジョルジョ」(ドナテッロの《聖ゲオルギウス》)、「とげ抜き」(スピナリオ)、アリアス、質が強い。石膏像のあり方は貨幣のそれに似ているかもしれない。個々の鋳造の出来不出来や表面の古色などに惑わされることなく、硬貨の「質」がその額面に還元されるように、石膏像もまたその現れを、たとえばジョルジョ像通有の造形的特質へと還元される。二枚の同額硬貨のあいだに差異を読まないように、二体のジョルジョのあいだにも差異は求められないのだ(石膏デッサン入門といった類いの出版物の存在を思えばわかりやすい。そこではジョルジョやとげ抜きをうまく素描するためのポイントが指南されるが、逆に言えば、これは、石膏像の見方を予め規定しているテクストである。指定された見方は、別様には「見ないこと」を要求する。とすれば、まさしくこれは視覚の制度の問題であろう)。貨幣のごとく、石膏像はいたるところにある。しかし、わたしたちは個々の石膏像を見据えるチャンスを、視覚の自由を、きわめて周到に剥奪されてはいないだろうか。以上のような状況を乗り越える(少なくとも相対化する)には、古代彫刻石膏模像受容という「特殊の一般化」の過程で、等閑に付された個別の石膏像の歴史、図像や来歴、保存状態といった情報を集めていく作業が有効であろう。明治期から現在にいたる間、どのような像が流通普及し、いかなる鑑賞・教育法が準備されたのかを知ることは、日本近代の美術受容史・教育史の一側面を照らし出すことになろう。こうした研究は同時に、個々の像、とりわけ明治から昭和初期にかけて輸入あるいは国内製作された石膏像の文化財としての地位を明らかにもするだろう。確かにそれらは近代的な意味での「美術」ではなかった。しかし、そこに見出される技法的特質や受容の歴史は、一次資料としての像本体ともども記録保存されるべきものである。現在、多くの教育機関において、石膏像の保存修復は必要とは感じられながらも、制度的経済的条件が整わず、実現にはなかなか至らない状況がある。そうだとすればな
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