鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―391―おさら、まずは個々の像・コレクションの調査分析を進め、修復保存事業の意義を予め整理、強調しておく必要があるだろう。本稿は、そうした将来的な展望を含んだ上での、予備的な調査報告である(注2)。工部美術学校旧蔵石膏像近代日本にヨーロッパのアカデミズムを移入した最初の機関は1876年に開校した工部美術学校である。イタリアよりアントニオ・フォンタネージ、ヴィンチェンツォ・ラグーザ、ヴィンチェンツォ・カペレッティが招聘され、素描力の錬成から始まる美術教育の階梯がはじめて日本の学生たちに示された。石膏模像もこのときはじめて公の場に現れ、教育の用に供される。イタリア人教師たちによってもたらされたこれら最初期の石膏像群は、現在、東京大学工学部建築学科の石膏像コレクションに収められている。数点の作品を見ればその特殊性、歴史的重要性は、容易に明らかとなるだろう(注3)。たとえばナポリの《ナルキッソス》像や、アントニオ・カノーヴァの《ペルセウス》頭部の存在は、教師たちが馴染んでいた19世紀後半のイタリアの古典古代趣味をよく伝える。《ナルキッソス》の原作は1862年にポンペイで発掘されたブロンズ彫刻であり、ナポリ国立考古学博物館の所蔵である。「ナルキッソス」という命名も1863年から1875年にかけて同館館長を務めたジュゼッペ・フィオレッリによるものである(注4)。発掘当初から大いに名声を博し、博物館の「真珠」と称された。いっぽうの《ペルセウス》オリジナルはヴァティカン美術館所蔵の大理石像であり、1801年の作。フランスによって教皇庁の多くの美術作品がパリ、ルーヴル美術館へと送り込まれた時期、屈指の古代彫刻《ベルヴェデーレのアポロン》の欠を埋める役割を果たした(つまり空の台座の上に載った)近代彫刻である。二つの石膏像《ナルキッソス》と《ペルセウス》を通してうかがえるのは、19世紀後期の、なお流動的な古代世界、古典観である。現代の考古学・美術史学の知見をもって振り返れば、前者をプラクシテレスの特徴を示すヘレニズム彫刻として称揚する立場には同意しがたいものがあるだろう。むしろローマ時代の庭園彫刻なのではないか。また、その当否はともかく、新古典主義彫刻を真正な古典性と近代性をともに欠く折衷的な擬古典主義の産物とみなしてきたモダニズム美学・美術史学の観点からすれば、新古典主義の代表的彫刻家、カノーヴァの作品の石膏像を通して古典美を研究するというのは隔靴掻痒の感が強すぎはしないか。つまり、ここに垣間見えるのは20世紀とは別の古典古代観である。特徴的な作品は《ナルキッソス》と《ペルセウス》

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