―392―のみではない。工部美術学校旧蔵コレクションには他にもカピトリーノ美術館の《アンティノウス》、ウフィツィ美術館の《踊るファヌス》、パレルモの《酒を注ぐサテュロス》の石膏模像が遺存する。いずれも現在一般に(つまり市場と入試の現場に)流通する石膏像とは異なるレパートリーである。加えて教師ラグーザ作の石膏像も複数含まれているが、これはむしろ予想の範囲であろう。要するに工部美術学校の石膏像群とは、当時の日本の画学生にとっては西洋古典古代への窓であったが、今それに触れる私たちにとってはむしろ、19世紀後期のイタリア・アカデミズムの映し鏡なのである。石膏像群はこの二重の意味において、歴史学的に参照される価値を有する。今後も適切な保存管理が継続され、必要に応じた修復活動、時宜を得ての公開展示が行われればと願う。東京美術学校の石膏像工部美術学校閉校後の美術教育を先導した東京美術学校では、当初こそ西洋美術は排除されたが、1893年に帰国した黒田清輝によってフランス流の教育方法が導入されて以後、素描学習の手本として、あるいは古典主義の理念を顕示する装置として、石膏模像の活用が本格化する。記録の残る最初期の購入作品としてヴァティカン美術館の《デモステネス》模像(1912年2月18日、パリ、エコール・デ・ボザールより購入)、ヴァティカン美術館の《ベルヴェデーレのトルソ》模像、ルーヴル美術館の《ミロのヴィーナス》模像、ウフィツィ美術館の《スキタイ人:通称鎌研ぎ》模像などがある(3作ともに1913年1月25日、パリ、ルーヴル美術館より購入)。原作の所蔵先にかかわらずフランスからの取得となっている点が興味深い。工部美術学校の「備品」が19世紀イタリアの芸術家の趣味をはらんでいるとすれば、ここではルーヴル美術館によって18世紀末から編集可視化されてきた美術史学的理性が優勢である。この傾向は1931年にボストン美術館から一括寄贈されたモニュメンタルな模像群、すなわちドナテッロの《ガッタメラータ騎馬像》《聖ゲオルギウス像》、ヴェロッキオの《コッレオーニ騎馬像》、ミケランジェロの《メディチの墓》《モーゼの像》によってさらに強化されるだろう。これら大型石膏像のコレクションは、素描実習の教材である以上に、西洋彫刻史のダイジェストとしての様相を呈しつつ、今日に伝わっている(注5)。いっぽう、等身大以下の像は入試課題の石膏デッサンの題材として繰り返し用いられるなかで(油画科の入試に石膏像が登場するのは1949年のこと。《マルス胸像》であった)、石膏像の基本的なレパートリーとして暗黙裡に認知され、美術系予備校における集中的な教材化、石膏成型業者による製作の重点化を被る。やがてそれらは日本
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