鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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注亀田孜「太子勝鬘経御講讃図―尊智法眼の一資料―」『日本仏教美術史叙説』學藝書林、 「本尊目六(公刊)」『美術研究』58号、1936年。■亀田孜「興福寺の絵画と絵所絵師」『仏教芸術』40号、1959年。■住吉派については近年、下原美保氏(鹿児島大学教育学部)による体系的な研究が進められて■本助成により調査の機会を賜った「四天王像」(4幅、ボストン美術館)については、さらな■建長6年(1954)奥書を持つ「絵過去現在因果経」(2巻、根津美術館蔵、大東急記念文庫蔵)の筆者として知られる「住吉住人介法橋慶忍并聖衆丸」は後世「住吉法眼」と同一視されるが、明らかでない。よって本稿では参考として〔表1〕、0期に掲載した。■「大伝法院本願聖人御伝」に両界曼荼羅、十六祖師影筆者として「大詑摩」の呼称がみえる。―404―1970年。林温「東京国立博物館保管・十六善神画像について」『MUSEUM』433号、1987年。いる。下原美保「住吉派研究史論―江戸時代の画論書にみる如慶、具慶像を中心に―」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編』第52巻、2001年。下原美保「松浦静山の絵画考証について―『新増書目』における住吉・板谷派の鑑定を中心に―」『鹿島美術研究』年報、第22号別冊、2005年。下原美保「江戸時代初期における王朝文化復興と住吉派興隆との関係について―後水野尾院と住吉如慶を中心に―」『鹿児島大学教育学部研究紀要 人文・社会科学編』第58巻、2007年。る課題とともに稿を改めて報告したい。亀田孜氏により住吉法眼が正願院のために制作したと指摘される「二天王像」は、宮島新一氏により尊智筆の可能性も示唆されている。とすれば住吉法眼研究は、一方で林温氏が尊智筆と指摘される「十六善神画像」(東京国立博物館保管)、さらに「太子勝鬘経講讃図」(法隆寺蔵)へと検討すべき対象が広がる。また、柳澤孝氏によって尊智の弟子・尊蓮房朝命(重命)が内山永久寺のために制作したと指摘された「四天王像」(ボストン美術館蔵)や、「毘沙門天像」(ボストン美術館蔵)、また有賀祥隆氏が住吉法眼画風を示唆された「毘沙門天像」(法隆寺蔵)、さらに尋尊によって手分けが困難との指摘がある宅間派の作品(たとえば住吉法眼とほぼ同時代に活躍したと考えられる宅間勝賀に帰される建久2年(1191)「十二天屏風」(東寺蔵)、「二天王像」ときわめて近い図様を示すことが指摘されている「普賢菩薩像」(鳥取・成菩提院蔵)などとの比較分析も必要で、これらはより慎重に深めるべき課題である。ボストン美術館には他に、箱書および外題に「春日曼荼羅 住吉法眼筆」との墨書がある「春日興福寺曼荼羅図」(Fenollosa-Weld Collection)が所蔵されている。宮島新一「南都絵仏師、尊智・快智父子と高階隆兼」『MUSEUM』511号、1993年。柳澤孝「ボストン美術館蔵の四天王図―新発見の廃寺永久寺真言堂障子絵―」『在外日本の至宝』第1巻「仏教絵画」、毎日新聞社、1980年。有賀祥隆「南都絵仏師の活躍」『興福寺国宝展―鎌倉復興期のみほとけ』図録、2004年。増記隆介「滋賀県指定文化財 普賢十羅刹女像」作品解説、「特別展 普賢菩薩の絵画―美しきほとけへの祈り―」大和文華館、2004年。アン・ニシムラ・モース、辻惟雄編『ボストン美術館 日本美術調査図録 第1次調査/仏画・仏像・仏具・袈裟・能面・水墨画・初期狩野派・琳派』ボストン美術館/講談社/協力・鹿島美術財団、1997年。

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