―35―見られ、ダイナミックなよじれのあるバロック的な人物像とは既に異なっている。それは、制作時期の非常に近い《天使たちによる神の御名の礼賛》(1772年、サラゴサ、ピラール聖母教会)とも相違が見られる。アウラ・デイの教会の装飾壁画を観察した結果、ゴヤは265平米の教会内の壁面全体を一つの作品として捉えており、空間や光の分量、さらに会士らの視線の位置を配慮しながら人物像の大きさ、色の強度、色彩配分を計算していたと考えられる。このことは、初期に依頼を受けた宗教画に対しても既に職業画家として忠実な姿勢を持っていたことがうかがえる(注15)。しかし、構図の構築性という点では、20世紀に行われたゴヤ研究の早い時期に、サンチェス・カントンが指摘しているように(注16)、特に《キリストの神殿奉献》について言えば、ゴヤ自身が技法等について試行錯誤の時期であり、修業期間であったことが推定される。第2期に制作された作品:現存する第2期の作品は、《ヨアキムとアンナの金門の出会い》(画面右端損失)、北側壁面の《聖母の誕生》(画面右端損失)、《聖母の結婚》(画面右端損失)、《聖母のエリサベツ訪問》の順に1774年の5月から12月に描かれたと推定されている(注17)。これら第2期の4枚の作品と、第1期の作品のちがいは、第一に、自然主義的な表現が人物像に目立っていること、第二に、演劇性が第2期の幾つかの場面に表れ始めていることである。例えば、《聖母の誕生》〔図7〕では、聖母を囲む婦人たちは、ローマ時代の女性のような髪型と衣装を身につけているが、縦長の大きな花瓶のようなものをささえ、膝をつき、新生児である聖母マリアの顔を覗き込むように画面に背を向ける娘の姿態は、非常に自然である〔図8〕。一つに束ねた髪型、上着の袖を捲り上げて前掛けを腰に巻きつけた衣類を身につけた姿は、仮に花瓶を水瓶に見立てると、ゴヤの時代のアラゴン地方の典型的な水汲み娘のいでたちとの類似性も考えられる(注18)〔図9〕。また、《聖母の結婚》〔図10〕では、画面中央で、聖母マリアとヨセフが実に人間的に握手を交わし、新郎新婦の画面左では、2人の婦人が儀式の最中におしゃべりをし〔図11〕、さらに画面左では、挙式中に起こりがちな儀式に退屈した子供たちが(1人は床に座り込み)ふざけ合っている。これはスペイン語で“cuadro de escena” といわれる演劇のワンシーンと解釈しても不思議ではない。さらにアウラ・デイの装飾壁画の集大成とも理解される表現が《聖母のエリサベツ訪問》〔図12〕に見られる(画面右端は、ブッフェ兄弟が復元したものである)。画面
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