鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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E永楽保全と中国陶磁―431――祥瑞写しをめぐって―研 究 者:静嘉堂文庫美術館 学芸員  山 田 正 樹1.はじめに近年の日本陶磁研究において、京都とそこに産する京焼は、高い関心を集めている。近世の日本陶磁研究は茶道文化研究と結びつき、文献的研究や考古発掘による出土品の研究などが進展している。しかし江戸後期の京焼陶工の作品研究は、いわゆる「文人陶工」や琳派などの特殊な様式の作品を展開した陶工を除いて、あまり行なわれていないのが現状である。幕末を代表する京焼陶工のひとり、永楽保全(第11代西村善五郎、1795〜1854)は、茶匠の千家や豪商三井家と深くかかわりを持ちながら、仁清など日本の茶陶や中国・朝鮮陶磁に学び、いわゆる「写し物」と呼ぶ作品を多く手がけたことで知られる。特に中国陶磁に関しては作陶活動の初期から晩年に至るまで写しを行なっており、交趾・古染付・祥瑞・金襴手など明清陶磁写しの茶陶を数多く制作している。従来保全の中国陶磁写しについては、祥瑞や金襴手、交趾写しに見られる技法的側面やモデルへの「迫真性」のみが注目され、評価されてきた。本稿では晩年に多く手がけた祥瑞写しについて主に考察し、モデルと「写し物」の比較を通じて、保全の「写し」の手法と作風の独自性を明らかにする。2.保全の作風筆者は保全作品247点の資料を収集したが、そのうち箱書や作品の印銘等で製作時期を判別できる作品は154点であった。それらを作期と作風によって分類し〔表1〕として示した。作陶家としての永楽保全の活動は、西村家当主として「善五郎」を名乗った時期、家督を譲り「善一郎」を称した時期、晩年「保全」を名乗り大津や高槻で作陶した時期と三期に大別されることが多い(注1)。本稿では各時期を、「善五郎」時代(1817〜43年頃)・「善一郎」時代(1843〜47年頃)・「保全」時代(1847年頃〜54年)と呼ぶ。また「保全」時代には、嘉永4年〜7年(1851〜54)まで行なわれた「湖南焼」と、嘉永5年(1852)の一時期に焼成された「高槻焼」、そして最晩年の嘉永7年(1854)に興した三井寺円満院門跡の御用窯「三井御濱焼」(長等山湖南焼)があり、それぞれ焼成時期が限定されるため、これらについても別個に作品を抽出した。

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