―36―中央の2の婦人、従姉のエリザベツの輝きを放つ純白のマントと聖母マリアの柔らかな薄いローズ色の澄んだ色、さらに夫ヨセフの衣装に表れたはっきりとした黄色など鮮明な色使いが見られる。人物表現では、再会を喜ぶエリサベツと聖母マリア、両手を広げて義従妹夫婦を出迎えるエリサベツの夫のザカリア、さらに何かを指差し、語りかけているヨセフ、画面左端の明らかに庶民の出であるかのように階段に座り込み、噂話でもしているかのように顔を寄せておしゃべりをしている2人の女たちの姿は、〔図13〕《聖母の結婚》と同様に演劇(劇場)の一場面を描出したかのようである。これらの人物像は、〈聖母のエリサベツ訪問〉の話の光景の中で自然主義的に描かれている。ゴヤはこの作品以前にも《聖母のエリサベツ訪問》を制作している。1771年から1772年頃に制作と推定されるサラゴサのガバルダ伯のソブラディエル宮の小礼拝堂のために描かれた《聖母のエリサベツ訪問》である(注19)〔図14〕。この作品では、カルロ・マラタの版画〔図15〕を変換するような方法で、人物、ポーズを描いた(注20)。如何にアウラ・デイの作品が、自然主義的な描写であるかは、ソブラディエル宮の《聖母のエリサベツ訪問》の現存する写真資料(ロンドンのコートールド美術研究所に所蔵)(注21)を比較することで、エリサベツと聖母の人物描写の違いが明らかになろう。重要なことは、アウラ・デイ修道院の装飾壁画が1774年の末に仕上げられたと推定されることから、ゴヤのマドリードでの生活が始まった時期に重なっており、マドリードで見聞きした美術に関する知識や視点が早くも一番初めに表出した作品がこの連作で、特に第2期に描かれたと推定される作品であると推定できることである。この結論は、報告者の本論文の根本的な目的であった。その美的な視点、描き方というのは、例えば、演劇的に場面を構成する表現方法であったり、聖書の場面ではあるものの、中性的な聖人像ではなくより自然な人物像を描いていたり、大衆的な子供、および女たちの姿を画面の端にはめ込んだり、といった構成方法などである。誤解のないように付け加えるならば、ゴヤは、宗教画における図像学的な決まりごと、アトリビュートの必要性を理解しており、決まりごとを無視しているのではない。宗教画においても画家自身の特質が芽生えた段階で、その描き方が表れるのであり、宗教画を切り離して考えるのであれば、総体的な見方でゴヤを捉えることは難しい。このことを踏まえて、《殉教者の女王》や後の〈サンアントニオ・デ・ラ・フロリダ聖堂のフレスコ画〉なども考察する必要がある。すなわち、カルトン画家以降の時代の女性像を論ずる際にも、宗教画に描かれた婦人たちを含めて、一つの分析ための基本となるそ
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