鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―437―保全は、本歌の祥瑞の様々な文様の中から特に「祥瑞」を象徴する要素(円文散らし、山水人物文、松竹梅文、毘沙門亀甲文・雷文・渦巻き状の鱗文などの幾何学文様)を抜き出して用いている。また祥瑞の名物である本捻鉢や腰捻茶碗などでは、短冊状の文様単位を捻って器面に貼り付けるように文様が施され、胴締茶碗などでは単純に文様単位が上下に重ねられ構成されており、保全はそうした象徴的ともいえる手法を取り入れて、文様を再構成し独特の洗練された作風を作った。そのような文様構成の方法がとられた理由は、保全のイメージの源となった器が、作品の注文者・需要者である茶人たちに親しみのあるものであったからに違いない。この本歌を特徴付ける要素が強調された「写し物」の作風が、「祥瑞」のイメージとして浸透することによって、保全を写しの名手と言わしめる要因のひとつになったのではないだろうか。4.銘文について保全の作品に施される印銘には「河濱支流」印と「永樂」印がある。「河濱支流」の語句は『史記』の「舜陶河濱器皆不苦(」からとられ、「永樂」の文字は、中国明代官窯の中でも美しい青花磁器を産したことで評価の高い永楽年間(1403〜24)の「永楽窯」より選ばれたとされる(注11)。これとは別に、磁器作品に多く用いられる書銘に「大日本永樂造」の染付銘がある。これは、当時日本に伝世していた古染付・祥瑞など、明末清初磁器に記された一般的な款識(偽款)である「大明成化年製」や「大明宣徳年製」などの青花銘を参考にしたものと考えられる。千家と深く関係し茶陶を制作した永樂保全にとって、この書銘は単なる商標ではなく、自らの制作の根拠と作陶姿勢を標示したものであったと思われる。ともに中国の陶業に由来する「永樂」と「河濱支流」の印を用い、「永樂」を家号とすることで、自らもその支流に位置するという自負が生まれ、中国文化を自らの背景として意識することとなり、「大日本永樂造」の銘を記すに至ったと推測される。ところで、保全晩年の作陶は、祥瑞写しを中心としたものであったが、中国陶磁写しのうちで特に祥瑞写しが多く作られた理由は詳らかでない。ここで筆者が注目するのは高槻焼作品に記された「准呉祥瑞風」や「准呉祥瑞圖蹟」、「慕呉祥瑞風」などの染付銘(注12)である。「祥瑞」と呼ばれる一群の青花磁器は、現在、明時代末期頃の中国江西省景徳鎮窯において、日本からの注文を受けて焼造されたものと考えられている。その呼称は、

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