鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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注保全の作陶を、作品共箱の署名によって、ほぼ三期に分類するものには以下の論考があげられる。山口吉郎兵衛「永樂保全考」『日本美術工藝 34号』日本美術工藝社,1945年,11〜33頁。赤沼多佳「写しそして個性の表出」『日本陶磁全集30仁阿弥保全』中央公論社,1977年,45〜59頁。中ノ堂一信「永楽家の歴代―保全・和全を中心に―」『京都窯芸史』淡交社,1984年,144〜227頁。清水実「三井家伝来 永樂の陶磁器 ―了全・保全・和全―」『永樂の陶磁器―了全・保全・和全』財団法人三井文庫 三井記念美術館,2006年,100〜111頁。本稿では、三―438―一部の作品に記される「五良大甫呉祥瑞造」という銘に基づいたものとされる。これら祥瑞は、日本にのみ伝世し、器種の構成から茶の湯に用いる道具として作られたことが明らかである。そのためか、祥瑞は江戸時代末期においては、銘文の解釈から、伊藤五郎太甫なる日本人陶工が明時代末期に中国に渡り焼造したものと考えられていた(注13)。保全作品に記された「呉祥瑞の図蹟に准ずる」や「呉祥瑞風を慕う」といった句は、「呉祥瑞」の青花磁器に倣い、また自らを陶工「呉祥瑞」になぞらえようとする意志を示したものと解される。ここには新たな茶陶を作り出した先人の業績を称え、そこに学ぼうとする意識が働いている。そうした保全の作陶の姿勢は、技術的側面にもうかがうことができる。祥瑞に用いられた青料の呉須(酸化コバルト)は冴えた青紫色に発色する高品質のものであるが、保全が染付磁器に使用した青料は、高価な中国産唐呉須のもっとも発色のよいものであったとされ(注14)、入手しうる最良の素材をもって作陶にあたったことが知られる。以上のことから、保全は、「中国へ渡り新たな茶陶を創出した呉祥瑞」の事績を追慕し、祥瑞写しの制作を通してその技術や意匠を追究することによって、明時代の永楽官窯からとった自らの家号「永樂」に相応しい陶工であろうとしたものと考える。5.おわりに永楽保全による写し物は、様々な文物のうちから、茶の湯にかなったものとして伝世した道具を主たるモデルとして、新たな茶道具を作り出すことを目的としていたといえる。祥瑞写し制作の背景には当時の流行があるが、保全は祥瑞を写すことによって中国文化を意識し、そこに自身の茶陶制作の進むべき方向性を見出したものと思われる。永楽保全の写し物は祥瑞に限らず、交趾写しや金襴手など中国陶磁の技法に倣うもの以外にも、仁清写しなど伝統的な京焼の技術の上に立った作品も多く、その重要性は高い。本稿において収集した作品資料では「写し物」の位置づけを明らかとするには充分でなく、今後さらなる調査が必要である。

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