清水,前掲論文,102〜103頁。■山口,前掲論文,13頁。■『角川日本陶磁大辞典』角川書店,2002年,553頁。■金森得水『本朝陶器攷證』艸書房,1943年,175〜179頁。■赤沼,前掲論文,57頁。■『茶の湯と京焼Ⅱ 仁阿弥・保全を中心に』茶道総合資料館,1982年,131頁。■『永樂の陶磁器―了全・保全・和全―』財団法人三井記念美術館,2006年,124頁。『世界陶磁全集6江戸(一)』小学館,1975年,117頁および180頁。赤沼多佳・中ノ堂一信『やきもの名鑑〔3〕楽と京焼』講談社,1999年,138頁。宮脇剛三「永樂保全と湖南窰」『陶器講座 第拾六巻』雄山閣,1936年,29〜30頁。こうした銘は三井記念美術館所蔵「祥瑞写松竹梅図筒茶碗」・「祥瑞写腰鎬筒水指」〔図13〕、個人所蔵「祥瑞筒茶碗」(『起風 平成18年春季号』起風刊行会,2006年,47頁)などにみられる。文化13年(1816)跋・弘化4年(1847)刊の稲垣休叟編纂による『茶道筌蹄』には「祥瑞 地名也、唐音チャンジズヱンの轉語 五郎太甫は伊勢津の人也。明末に祥瑞へ渡り、燒物をなし、其後歸朝す。(中略)遠州時代より古し。一説に呉祥瑞といふは人の名なりと。五郎太甫は模樣を彫、藍を入たる者といふ説あり。」とある。安政4年(1857)序の金森得水編『本朝陶器攷證』には「五郎太甫は生國伊勢■高郡大口村の産にて、伊藤五郎大夫の次男なり」としている。稲垣休叟は表千家8代)啄斎の門下にあった茶人であり、また保全は『本朝陶器攷證』編纂時に近江比良焼の調査などの協力を行なっており、金森得水と親交があったと思われ、両説とも保全のよく知るところであったと考えられる。寒川義崇「永楽保全の高槻焼②」『起風 平成18年春季号』起風刊行会,2006年,6頁。―439―井家伝来の共箱作品を主体に保全の作陶を論じた、清水実氏による作期区分に従った。
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