―447―以上のように、「ピクトグラフ」シリーズでは、古代神話の主題の選択、美術館で展示された先史の絵文字との出会い、プリミティヴ・アートへの関心、既存の絵画形式への疑問、グラハムの言う喚起的な芸術への傾倒とその背景にあるユングの集合的無意識といった諸要素から、「プリミティヴィズム」という枠組みのもとに括られてきた。しかし、それではヨーロッパのモダン・アートとの関係性が見過ごされてしまう。以下では、「ピクトグラフ」シリーズを、1940年代ニューヨークの美術界と外部の美術作品や言説との接触面において、再度検討してゆきたい。「ピクトグラフ」シリーズの形式においては、ヨーロッパのモダン・アートの2つの方向性が確認できる。ひとつは、画面を仕切るグリッドで、これはモンドリアンの新造形主義の流れを汲む〔図7〕、〔図8〕(注12)。次に形象をランダムに配置する手法には、シュルレアリスムのデペイズマンとの相関性が認められる。この上に、プリミティヴな文化に由来する形象と、「ピクトグラフ」という命名が加わるわけだが、着目したいのは、それらの共存によって、画面に機能不全が生じていることである。つまり、モンドリアンのグリッドは本来、純粋な抽象造形を志向するものだが、「ピクトグラフ」シリーズではグリッドで仕切られた小平面に、具象的形象が置かれることによって、純粋性が損なわれている。同時に、本来あるべき場所から物やイメージを移し別の場所に配置する手法であるデペイズマンは、異質なものどうしの偶然の出会いを提示して観者に驚きを引き起こすことを目的とするが、同シリーズにおいては、各々の形象そのものが不定形化あるいは断片化されているため、形象のもとあった場所(コンテクスト)は、「おそらく」プリミティヴな文化「であろう」と推測されるばかりである。その代わり、同シリーズには別のコンテクストが持ち込まれる。それが「ピクトグラフ」という呼称である。「ピクトグラフ」と名づけられることで、本来モンドリアン的なものであったグリッドは、画面を文節化する役割を担い、ランダムに置かれた形象を包括するシステムに変換され、それらを文字として読むことを方向づけることになる。このように、同シリーズでは、新造形主義の純粋抽象造形への志向という解釈システムも、異質なものの出会いによって意識の合理性を超えた世界を開示するというシュルレアリスムの解釈システムも、十分に機能していない。もとは一定の象徴的機能を有しているはずの形象も、変形、断片化されその役割を果たせていない。つまり、同シリーズは複数の次元の異なる美術作品および解釈言説の混在によって成り立っており、それゆえ一貫した解釈システムを有していないのである。
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