注同シリーズ初の展覧会は、1942年12月から43年1月にかけて、アーティスツ画廊で開催。タイトルを「ピクトグラフ」とした展覧会は1945年12月(ニーレンドルフ画廊)と1947年11月(クーツ画廊)の2回。■1968年、Andrew Hudsonとのインタビュー。Cooper, Harry, “Starting with Oedipus: Originality andInfluence in Gottlieb’s Pictograph”, Exh.Cat. Adolph Gootlieb: Pictographs1941−1951, New York:PaceWildenstein, 2004, p.9―449― Maurer, Evan M., “Adolph Gottlieb: Pictographs and Primitivism”, Alloway, Lawrence(et al.), ThePictographs of Adolph Gottlieb, New York: Hudson Hills Press, 1994, 31−39; Rushing, W. Jackson,Native American Art and the New York Avant-Garde: A Study of Cultural Primitivism, Austin: Universityof Texas Press, 1995, 161−168; Polcari, Stephen, “Adolph Gottlieb’s Allegorical Epic of World War II”,Art Journal, vol.47, no.3(Autumn 1998), 202−207.■Hirsch, Sanford, “Adolph Gottlieb and Art in New York in the 1930s”, Alloway(et. al.), op. cit., 13−15.■1955年、イリノイ大学における現代アメリカ絵画展での発言。Exh. Cat. Doty, Robert/ Waldman,グリッドが吸収同化される。そして、EとFが共存することにより、グリッドは再び相対化される。いささか図式的ではあるが、「ピクトグラフ」シリーズの曖昧な様式と、解釈の一貫性の欠如は、その成立時に上記のようなプロセスを経て、発信元の文化の解釈言説を逸脱した結果生じたものである。同シリーズはいわば、クラークの言うハイブリッドな状態であり、「権威となるコード」が瓦解し、系統上の正統が不在となった状態にあたると言えよう。本研究は、1940年代アメリカ美術における絵文字に関連した作品および言説に着目し、同時代の美術的状況に照らし合わせることで、それらがどういった位置を占め、どういった役割を果たしたのかを明らかにすることを目的としている。本報告論文では、その第一歩として、ゴットリーブの「ピクトグラフ」シリーズの分析を試みた。先行研究は、プリミティヴィズムの枠組みでの図像的、思想的源泉の特定に終始しがちであったが、本研究は同シリーズに、従来のアメリカ美術とヨーロッパの前衛芸術との文化的接触により生じた、「相対化のプロセス」を見出した。こうした相対化のプロセスはその後も連続し、やがて絵文字は場所を失い、新たな「権威となるコード」としての抽象表現主義およびモダニズムの出現を導いてゆくと考えられる。今後はその他の作例や言説の個別的な分析を行うことで、絵文字的表象の意義についての考察を深めると同時に、これまでの研究では捉えきれなかった抽象表現主義の形成期と完成期との間の連続的なプロセスを探ってゆきたい。
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