鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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注小林忠「伊藤若冲の版画」『MUSEUM』377号,1982年 拓版画については以下の論考が詳しい。■「髑髏図」は黒地に白く髑髏が抜かれ拓版画のようだが、実際は通常の木版摺で、表現効果のた■秋山光夫「若冲研究拾遺」『MUSEUM』245号,1971年―460―鵡図」を除き、異国の鳥を自然の中に遊ばせる「花鳥版画」は、このような若冲と大典の意識が反映し制作されたものと考えられるのである。拓版画が中国趣味のもと制作されたことは先述したが、「中国の鳥」を主題とした「花鳥版画」もその延長線上に位置づけられる。また小画面の折枝と小禽の組み合わせや構図は、徽宗筆「桃鳩図」に代表される南宋院体花鳥画の形式を連想させ、「鸚鵡図」の円形画面は南宋画に多い団扇画を意識したものかもしれない(注20)。4、おわりに一般的に版画の利点は複製性と流通性といえるが、「花鳥版画」の場合、一枚作るのに相当な手間と時間がかかったにちがいなく、現存作例の少なさからもその利点はあまり生かされていない。若冲は当初から量産を目的としてはいなかったのだろう。拓版画は漢詩と絵の組合せを表す中国風画巻、画帖のための表現手段であった。「花鳥版画」は色鮮やかな花鳥の美しさを版画で表現するために生み出した技法と捉えられる。したがって、若冲にとって版画は、「動植綵絵」に代表される濃彩極細密花鳥画や「筋目描き」の水墨画、後に創造する「点描画」や「桝目画」と同じく、追求した新奇な表現技法のひとつと位置づけられる。昨今、「動植綵絵」の裏彩色の実態が明らかとなり、若冲が技巧の画家であることが再認識された。本版画もおそらく彫師や摺師の協力があったと予想されるが、若冲自身が手掛けた部分も多いだろう。「花鳥版画」は技法においても画題においても新しく、また、絵画と工芸の枠を超えた若冲の創作活動の様相を端的に示すものである。それゆえ、この特異な版画を江戸時代に追随する者は現われることなく、若冲一人の制作だけに終わり、版画史上にも特異な作例となっているのではないだろうか。前掲注、小林論文中野三敏「拓版画の系譜―木拓正面版について―」『名品でたどる―版と型の日本美術』町田市立国際版画美術館,1997年めに拓版画の黒地を模したものと佐藤康宏氏は指摘している。佐藤康宏「『乗興舟』小解」『美術の展開に果たした芸術家による旅行の意義に関する包括的研究』,2002年

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