―467―さまざまな拝領品とともに「公卿各筆短冊之帖」を拝領したという(注7)。短冊の状態は、一枚の台紙を折本にして、一面に短冊一紙ずつ、合計24首の短冊がはりつけられている〔図1〕。各短冊は濃厚な紅・浅葱・萌葱などの染紙に金銀泥彩絵で、橘、藤袴などの草木や、網干、流水に伏籠などの情景が精緻な筆致で表されている。天保期に藩で作成された蔵品目録によると、かつては筆者の目録があり、表紙には名物裂を思わせる織物裂と金具が、見返しには絵が描かれるなどして表装され、溜塗の箱に入れられていた(注8)。たしかに表装が失われている現状、短冊数の少なさ、また紙継ぎの13首目と14首目は古今の賀歌と秋部という順番としての一貫性がみられないことから、これが当初の一部にすぎず、後で綴直されたものである可能性はある。しかし次の特徴をあげる。和歌の内容は、柿本人麻呂の万葉集の1首をのぞき、古今和歌集(12首)新古今和歌集(11首)という二つの和歌集を基盤にしている。配置順には新古今和歌集から古今和歌集へ順番に並べられ(〔表2〕右からの順)ている。歌の部立ては、古今は春2首・夏3首・秋3首・冬2首・賀歌2首、新古今が恋歌5首・雑歌5首・釈教1首である。歌人は、「よみ人知らず」も含まれているが、三十六歌仙、中古三十六歌仙、女房三十六歌仙といった歌仙で占められ、小侍従・紀貫之のように複数回登場する歌人もある(注9)。これらのことから、おそらく歌仙の色紙(手鑑)短冊には、歌仙などの歌を、一つの和歌集によらず、二つ以上の和歌集から選出し、それらを部立などによって再構成させたと思われる。分析3:現存品における和歌の内容(屏風絵について)シカゴ美術館所蔵「桜紅葉図屏風」六曲一双(注10)〔図2〕をとりあげる。当屏風絵を東福門院の縁の品と考える根拠は、第一に、昭和32年(1957)『国華』で、楢崎宗重氏が記載した内容(注11)に負う。これによるとかつて屏風には、極書とその包み紙、筆者目録の箱が伴っていた。その極書は、古筆の門人であった藤本了因が元禄11年(1698)、短冊の筆者の鑑定したもので、その包紙表には「東福門院様ヨリ御拝領金物御紋付 御屏風桜紅葉壹双土佐光起筆 公家衆寄合書 藤本了因極壹通入」とあった。これらを総合すると、東福門院の没後20年後の時点で、筆者目録が失われて筆者不明になっていたが、東福門院から拝領したことは明らかであったの
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