注筆者は3冊の綴り順を復元し、書込みや綴り順から東福門院を中心とする注文帳であることを確認した。(美術史学会西支部会例会2003年、11月15日関西大学図書館にて発表「雁金屋『衣裳図案帳』について小袖意匠決定を中心に」) 武家の拝領品の記録に、東福門院が下賜した御召呉服が、綸子地、黒紅地に金糸刺繍、鹿の子の技法であると記される。これは『衣裳図案帳』の特徴に共通する。「御召御服二 綸子染縫鹿子 黒紅 白 御裏紅」(『吉良家日記』寛文13年9月、宮内庁書陵部蔵)「御衣三領 金繍」(『譜牒余録』5巻、松平出羽守、寛文3年5月)■今朝女院より此ころ世間にはやるよし仰にて更紗染めに縫いなど御物数寄にさせられ小袖たぶ又はなかみふくろ中へいろ〜そろへさせられ美しく伊達い成物ともたふ(『无上法院殿御日記』寛文十二年十二月二十二日)(筆者漢字かえ)■エリザベス・リレホイ「東福門院和子その人生と美術嗜好」(『美術フォーラム21』第5号、醍醐書房、2001、12月)さまざまな美術品について、東福門院の注文主的立場を喚起しており、意義深い。■東福門院の押絵・馬郎婦観音像については、パトリシア・フィスター氏の研究を参照。〔「馬郎婦の尊格化と近世日本の禅宗界および皇族間の馬郎婦信仰」(真鍋俊照博士還暦記念論集『仏教美術と歴史文化』法蔵館、2005、10月)など〕■『空印寺殿年譜』小浜市立図書館酒井家文庫■「女院様ヨリ御拝領 一小短冊手鑑 一表紙茶地金入唐草龍ノ丸隅金物銀ノ水車裏絹山水ノ絵一溜塗箱入 一短冊筆者目録有」(『御譲道具入日記』『小浜市史紀要 第5輯』小浜市教育委員会、1981、127頁。124頁に解説。なお飛鳥井雅章『数量和歌』中院通茂『中院三燈集』(宮内庁書陵部)『鴫の羽掻』(元禄四年シカゴ美術館(The Art Institute of Chicago)での作品名および作品番号は、Tosa MitsuokiFlowering Cherry and Autumn Maple with Poem Slips(1977.156−157)Kate S. BuckinghamEndowment楢崎宗重「土佐光起筆 桜花楓樹図屏風」(『国華』789号 昭和32年12月)なお箱書きと付属文書は、『色道大鏡』の筆者である箕山についての「箕山傳記資料」(『色道絵は美術館の記録によれば、当屏風は、アメリカに渡った後いくつかの所蔵者を経て、1977年歌仙色紙折本(本文表1、譜牒餘録5巻「歌仙色紙折本 土佐画」)などを描いた。なお同様の七宝製葵紋の留め金具が宮内庁三の丸尚蔵館蔵 狩野探幽筆「源氏物語図屏風」にみられる。この屏風は桂宮家旧蔵であり、東福門院の養女として輿入れした富姫(前田家出身)の所用品と考えられている。(徳川美術館『絵画でつづる源氏物語』展示図録 2005、136頁参―470―■Word in flower : the visualization of classical literature in seventeenth-century Japan / edited by Carolynところで、このような和歌の撰出に必要な高い教養を、東福門院はどのようにそなえたのだろうか。今後は後水尾院の歌壇など、多角的に深める必要があると考える。初本、天明元年版)に収載される「六歌仙」「新六歌仙」などに共通する歌は特になかった。大鏡』友山文庫野間光辰編集1961、103−06頁)にも翻刻掲載されている。現在の美術館に収蔵されている。アメリカへ渡った時期は1960年頃と思われる。Wheelwright. New Haven, Conn.: Yale University Art Gallery, c1989
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