鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―476―二に入り次第に低調なものとなったが、チェコ地域における日本の美術品の蒐集は途切れることなく今日まで続けられ、現在、この地に蓄積されたコレクションの大半がプラハの国立美術館とナープルステク博物館、およびキンズバルト城をはじめとする数多くの城郭に所蔵されている。以上のようなチェコ地域における日本美術コレクションの形成過程とその現状についてはフィリップ・スホメル氏の諸論に詳しい(注1)。なかでも漆器については、同氏が中心となって2002年に編纂した『A Surface Created for Decoration−JapaneseLacquer Art from the 16th to the 19th Centuries−』において、チェコ共和国に所在する主要な作品すべてが紹介されている(注2)。今回はスホメル氏の協力を得て、同書掲載作品の内、17世紀に制作されてヨーロッパへ輸出された日本漆器を中心に調査を行った。なお、本報告では掲載できる図版数に限りがあるため、以下に取り上げる作品には必ず同書の図版番号を示す。また、チェコ以外に所在する作品についても比較作例として多く言及するため、チェコ共和国内の美術館や博物館、および城郭の名称には必ずCR(Czech Republicの略)を付すこととしたい。それでは、制作年代順に作品を見て行くことにしよう(注3)。日本からヨーロッパへの漆器輸出は、遅くとも16世紀の末までには始まっていたと考えられている。その契機となったのは、ポルトガルとの交易とキリスト教宣教師の布教活動で、特に1570年に長崎がポルトガル船のために開港されると、交易と布教の規模が拡大し、布教は決定的なキリスト教弾圧が始まった1614年まで、交易は鎖国政策によってポルトガル船の来港が禁止された1639年まで続いた。こうした16世紀の末から17世紀初頭の状況のなかで、キリスト教の礼拝に使用される祭儀具やヨーロッパの形態を有する調度類の注文が始まり、これら日本製の漆器に対する交易品としての価値も高まっていった。この時期の様式は、最初の発注者となったポルトガル人の嗜好を強く反映したもので「南蛮様式(Namban Style)」と称されている。総体に黒漆を塗り、各器面を螺鈿や平蒔絵による連続文様で縁取り、その内側の空間に、平蒔絵と螺鈿を主体とする技法で、草花・樹木・鳥獣などの文様や幾何学的な文様を隙間無く充填した意匠を基本とする。主要な形態は、キリスト教の祭儀具としての聖餅箱、書見台、聖龕、ヨーロッパ輸出用の調度類としての箪笥、洋櫃で、この他にも西洋の形態をモデルとするものが多い。ここに見られる技法は日本独特の伝統的な蒔絵技法であり、個々の文様も

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