―477―(CR)の箪笥(No.2)、キンズバルト城(CR)の円筒形の箱(No.4)は、南蛮様式日本漆器に通有のものが大半だが、西洋的な形態と充填的で混沌とした意匠構成が、日本国内市場の漆器とは一見かけ離れた異質な雰囲気を備えている。ナープルステク博物館(CR)の洋櫃(No.1)や箪笥(No.3)、チェコ外務省の初期的な装飾を有する作品。このうち円筒形の箱は非常に稀有な形態である。蓋径53.1cm、総高20.8cmの円筒形の箱で、平蓋造りとする。総体に黒漆を塗り、金平蒔絵による南蛮唐草の縁取りをめぐらせ、蓋表には土坡に枝垂桜と3羽の鶴、身の側面には橘・菊・桔梗・椿などを、金平蒔絵・絵梨子地風の淡い銀蒔・螺鈿、及び付描と描割の技法で充填的に描き、箱の内部は朱漆塗りとする。蓋表にヨーロッパでの補筆が多く見られ、蓋と側面の表面にはラックが厚く塗られている。金具も後世のものであり、台はジャパニングの技法で日本漆器を模倣して製作されたものである。問題は箱の用途で、これについてはイタリアのフィレンツェにあるピッティ宮殿の円筒形の箱が有効な比較対象となる。小山真由美氏が紹介された作品は、蓋径54.0cm、総高20.8cmで、法量がほぼ共通しており、形態も同一。総体に黒漆を塗り、金平蒔絵による南蛮唐草の縁取りをめぐらせ、蓋表には土坡に椿・梅・柳、一対の鳥と蝶、身の側面には実をつけた葡萄の蔓を、金平蒔絵・銀平蒔絵・螺鈿、及び付描と描割の技法で充填的に描き、箱の内部は黒漆塗りとする。個々のモチーフは異なるが基本的な意匠構成は共通している。保存状態が良好で、表面に補筆やラックによる塗りも施されておらず、金具も台も付け加えられていない。同氏は『ピッティ宮殿収蔵目録家具類編』の記載を分析するとともに、カトリック高位聖職者である枢機卿に着用が許されていた「ガレーロ僧帽」という鍔広帽子を収納した箱である可能性について考察した(注4)。したがって、同じ法量・形態・装飾を示すキンズバルト城の円筒形の箱も、本来はこうした鍔広帽子を収納した箱だったのかもしれない。飾り襟を収納したとする説もあるこの種の箱は他に、ロンドン・クリスティーズのカタログ(lot194, 1999)掲載の作品がある。やはり南蛮様式の初期的な装飾を有し、16世紀の末から17世紀初頭に位置づけられるもので、径が51.0cmで総高も先に見た2点に近いが、蓋の形態が平蓋ではなく、ドーム状の膨らみのある蓋で合口造りとなっている。ポルトガルと同じく交易と布教を目的として東アジアに進出してきたスペインは、1580年代から船を日本に立ち寄らせていたが、交易が盛んとなったのは17世紀初頭のことで1624年には国交が断絶した。また、1609年にオランダ、1613年にイギリスが平戸商館を開設し、それぞれ翌年には日本漆器を本国に送り届けているが、オランダ東インド会社(以下、VOCと略す)の重役会は1614年に日本漆器の公式購入の中止を
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