注フィリップ・スホメル「チェコ共和国における日本美術コレクション」、『プラハからの美のた■筆者自身の主な先行研究および最も重要な参考文献は以下の通りである。■小山真由美「ピッティ宮殿所蔵「黒漆花鳥葡萄蒔絵螺鈿円筒形箱」―メディチ家文書の記録と■「南蛮様式(Namban Style)」から「絵画的様式(Pictorial Style)」へと展開する17世紀の編年体―481― Filip Suchmel & Marcela Suchomelova, “A Surface Created for Decoration−Japanese Lacquer Art fromの窓枠を設けて、外の空間を金の平蒔絵による花菱や唐草の文様などで埋め、窓枠の内には金の高蒔絵を主体とした技法で獅子に牡丹の図などをあらわす。黒漆地に金の高蒔絵で描かれた窓枠内の図様は、「南蛮様式(Namban Style)」に対して「絵画的様式(Pictorial Style)」と称されるこの時期の定型的な輸出様式を示す(注5)。下部に取り付けられた台は後世のもので、本来の姿は、柿右衛門様式の磁器である重要文化財「色絵花鳥文八角大壺」の形態に類似する。同種の壺は、アッシュモレアン美術館の1点が知られるのみであり、1対で現存している点でも極めて貴重である。すでに紙幅が尽きてしまったが、チェコ共和国内の城郭をはじめ美術館や博物館には、17世紀に制作された様々な輸出漆器が伝来していることを、あらためて認識することができた。いずれ稿を改めて今回の調査の詳細を報告するとともに、17世紀のみならず18・19世紀の作品についても調査を進めて行きたいと考えている。謝辞今回の調査にあたり、プラハ美術大学副学長PhDr. Filip Suchomel, プラハ国立美術館アジア館学芸員Ms. Michaela Pejcochoraの両氏に大変お世話になりました。ここに記して御礼申し上げます。より―里帰りの日本美術―』(展覧会カタログ)、京都国立博物館、2002年、10〜13頁山崎剛『海を渡った日本漆器Ⅰ(16・17世紀)』、日本の美術No.426、至文堂、2001年、1〜84頁Oliver Impey & Christiaan Jorg, “Japanese Export Lacquer 1580−1850”, Hotei Publishing, Amsterdam,2005.枢機卿帽子箱の可能性―」、『漆工史』第27号、漆工史学会、2004年、33〜45頁系を最初に提示したのはインピー氏による以下の論文である。Oliver Impey, ‘Japanese Export Lacquer of the 17th century’, “Lacquerwork in Asia and beyond”,Persival David Foundation, London, 1982, pp.124−158.the 16th to the 19th centuries−”, The National Gallery in Prague1−Collection of Asia Art, 2002.
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