鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
51/543

―43―1 フランスにおけるポスター蒐集と懸賞募集杉浦非水がヨーロッパに向けて東京を出発したのは1922年11月23日のことであった。同月29日、日本郵船の箱崎丸二等船客として神戸から出帆し、翌年1月7日マルセイユに上陸、同月10日パリに到着した。同じ船室には、洋画家の白瀧幾之助や萩谷巌がいた。ほかにも、のちに立正大学学長をつとめた日蓮宗の宗教家守屋貫教や写真研究を志した千葉凱夫も同船し、長い船旅のなかで親交をむすんでいる。1ヶ月以上に及ぶ船旅の道中、箱崎丸は世界各地に寄港している。主なところでは、上海、香港、ペナン、シンガポール、コロンボ、スエズ、カイロ。もちろん非水にとって、この旅の目的地はヨーロッパであるが、残された日記の記述から、これらの寄港地においても、率先して仲間を誘い、各地の街並みや風俗にふれようと心がけている非水の行動力と旺盛な好奇心が目を引く(注1)。非水はヨーロッパ遊学の大半を主にパリを中心にフランスで過ごした。当初はフランスとドイツをはじめ、オーストリアやチェコスロバキアなどヨーロッパ各国に足を伸ばすつもりであったが、1923年9月4日、ベルリンで関東大震災の一報を聞き、予定を切りあげ、オランダ、ベルギーを早足でまわり、一旦パリに戻る。さらに次々に耳にする震災の悲惨な報を受け、日本への帰国の決意を固める。2週間あまりの大急ぎのイタリア滞在を経て、同年12月2日マルセイユを出帆し、翌1924年1月6日帰国した。それでは、非水がこの遊学の大半を過ごしたパリでの生活ぶりとはいかなるものであったのだろうか。パリに到着した非水は、ひとまずモンパルナス駅近くのホテルに滞在しながら、長年憧れていたヨーロッパでの生活をスタートさせる。さてこの遊学の目的については、残された非水の海外旅券にある「絵画研究及び古美術見学」という記述のとおりだが、自身も述べているようにヨーロッパのポスター見学及び蒐集もその主な目的の一つであった。パリ滞在中、午前中にフランス人女性の家庭教師から語学の個人レッスンを受け、午後は友人たちと連れ立って、パリの街並みや寺院などの名所旧跡に足を運び、写真撮影やスケッチに明け暮れる生活を送っている。とりわけ、美術館、劇場、映画館には足繁く通ったようだ。パリに着いた当日すぐにルーブル美術館を訪れるほどである。そのような忙しい合間をみながら、非水はポスターの蒐集に精を出している。日記にはごく簡単な記述ながらも、蒐集場面が少なからず見出すことができる。これらから非水が具体的にどのようにポスター蒐集をしたのかが確認される。例えば、1923年1月16日と2月24日の日記では次のように記している。1月16日「及川〔呉郎〕萩谷〔巌〕来訪十時起床小雨あり。ポスター及盆を買ふ。サ

元のページ  ../index.html#51

このブックを見る