F平安時代後期仏教絵画の規範性について―502――普賢菩薩画像制作を中心に―研 究 者:彦根城博物館 学芸員 小井川 理はじめに法華経中に、この経を読誦する信仰者を守護すると説かれる普賢菩薩は、承和5年(838)に入唐した円仁が請来した図像に基づき、平安時代を通じて合掌騎象形の像が盛んに造像された。奈良国立博物館に所蔵される普賢菩薩像も、平安時代に一般的な合掌騎象形普賢菩薩像の一作例であり、12世紀に遡る優品である。この小幅の画面に愛らしく描かれた普賢菩薩の像容が、竹生島宝厳寺(滋賀県長浜市)に伝来した刺繍普賢十羅刹女図額の普賢菩薩と近似することが指摘されている。両者に見られる像容の共通性は、図像的な、すなわち教義上特徴的な思想背景を有する造形によるものというよりも、表現技法を含めた図様としての共通性と言えるもので、奈良博本の何が継承に値する規範性を持ち得たのかが疑問として生じてくる。本報告では、従来指摘されてきた普賢菩薩の像容の継承に加え、宝厳寺本で加えられた十羅刹女についても古様と言える特徴が認められることから、宝厳寺本の制作の場において先行する作例や「古様」への志向がうかがえることを指摘し、平安時代後期の仏教絵画が後世の作品に規範性を持ち得た状況の一端を紹介したい。一 奈良国立博物館所蔵普賢菩薩画像奈良国立博物館所蔵普賢菩薩像(重要文化財、以下「奈良博本」と略す)〔図1〕は、縦62.0cm、横30.7cm、一枚絹に描かれた小幅である。普賢菩薩は、白象に乗り画面右から左へ進む姿で表される。胸前で合掌し、六牙の白象上の蓮華座に結跏趺坐する。肉身部は白色に淡紅色の隈をほどこし、淡墨で輪郭を描き起こす。描き起こし線には下書きの墨線に改変を加える部分も散見される。画面全体が暗く変色していることにより、着衣の彩色は確認が困難であるが、腰衣は緑褐色を呈する表地に、白色地に赤の点描による小花を描く裏地、上裳の縁には赤の縁取りと表を白緑色、裏を赤の暈しとする房飾りが見られ、華やかな彩色が施されていたことがうかがえる。着衣の衣文には、截金線のほか、現状で白灰色を呈する銀截金と見られる線が衣文や輪郭線の別に応じて施されており、箔押による瓔珞、下裳の縁の截金による菊花文など、荘厳への細やかな意識を見てとることができる。宝冠には開敷の蓮華や宝相華の花葉をあしらい、胸飾や腕釧には開花の花飾や列弁形を用いて、
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