―505―いただき、合せ襟の衣で、右斜め下を向いて立ち、右手に剣、左手に水瓶を持つ。右5は頭部が後補であるため確認できないが、垂髪で、両手で華盤を捧げ持つ。右6は、揚髪か、花飾のある冠をいただき、合せ襟の衣で、俯きがちに立ち、右手は何かを摘むように捻じ、左手には念珠を持つ。右7は、垂髪に冠をいただき、顔をあげて、体前に右手を捧げる。右手上方に唐草状に立ち上がる暗色の糸の痕跡がある。続いて、左1は、揚髪に冠をいただき、合せ襟の衣を纏い、右手に蓮華茎をとり左手で華盤を捧げ持つ。左2は、垂髪、肘に大きな鰭飾りのある羯磨衣を着し、右手に戟を持ち左手は腹前に握る。左3は、垂髪か、胸前で合掌する。十羅刹女はいずれも毛氈座に立ち、服制は合せ襟の袂の長い衣を纏う者と、丸襟の上衣を纏う者とがおり、唐風と宋風が混在していることがすでに指摘されている(注4)。十羅刹女の像容は、『法華十羅刹女法』に依るものとされ(注5)、『阿娑婆抄』巻171にも同経を引いた記述がある(注6)。しかし、すでに多くの作例において指摘されているように、現存する十羅刹女の像容は、これら経軌と完全には一致せず、図像の混交なども多く見られる。ここでは、経軌および他作例との比較により可能な限り比定を試みる。まず、右手に独鈷杵、左手に念珠を持つ右2は「右手独股当右肩。左手持念珠」と説かれる藍婆、両手で華盤を捧げる右5は「前捧香花」と説かれる曲歯、右手に蓮華茎、左手に華盤を捧げる右1は「右手把花。左手把花盤」と説かれる花歯と考えられよう。さらに、左手に水瓶を持つ右4は黒歯、右手に戟を持つ左2は奪一切衆生精気、合掌形の左3は無厭足にあたると考えられる。そして、左手に独鈷杵を持つ右3を皐諦、動きのある姿勢をとる右1を「左手如-」とされる多髪とすると、唐草状の糸の痕跡を風雲の表現と見れば右7は毘藍婆、残る右6が持瓔珞にあたろうか〔表1〕。以上の宝厳寺本の十羅刹女図像において、藍婆が宝冠をいただき揚髪にする点が注目される。藍婆は、経説に「形如薬叉」と説かれ、唐装本の作例の多くで、逆立ち、あるいは外側に巻いた髪形に表される。前者の例としては、奈良国立博物館所蔵金銅製輪積経筒線刻普賢二菩薩二天十羅刹女図(伝福岡県出土、保延7年(1141)銘)、根津美術館所蔵普賢十羅刹女像(平安時代12世紀)、兵庫・太山寺所蔵「太山寺経」陀羅尼品見返の普賢十羅刹女像(鎌倉時代13世紀)などの藍婆に頭髪の逆立つ表現が見られる。後者については、鳥取・常忍寺所蔵普賢十羅刹女像(鎌倉時代13世紀)、香雪美術館所蔵普賢十羅刹女像(鎌倉時代13世紀)、奈良国立博物館所蔵普賢十羅刹女像(南北朝時代14世紀)などに巻髪の表現が見られ、これらの作例では巻髪の藍婆とと
元のページ ../index.html#513