―44―ンデゥニーに下車写真をひやかす。買ふものなし。河畔の古本屋を見て、サンデゥニーの通りにて皿を買ふ。二十フラン。」2月24日「約束があったので小西〔正太郎〕君を訪問。まだ寝て居るので萩谷君と中食に行、帰途アフィッシュ及本を買ふ。小西君に立寄三人にてオペラ通に行。グランブルバールにてアンチックの指輪を買ふ。37F180。サンデゥニーの近くにて食事。モンマルトルに行、バルタバランに這入る。十一時過二人を残して一人帰る。十二時帰宿。」いずれも前述した非水がパリで過ごした典型的な一日である。非水はパリのアカデミーや図書館付近の古書店などを巡ってポスターを購入している。また、これらの記述からは、非水の蒐集の対象がポスターに限定されたものでなく、工芸品や書籍といった幅広いものであったことがうかがえ興味深い(注2)。さて、このような非水のコレクション活動をはじめとした生活の様子を見ていくうえで、見逃せないのは、日本人美術家の幅広いネットワークの存在である。非水は自伝のなかでとくに親交があった人物として、画家の宇和川通喩と藤田嗣治の名を挙げている。宇和川は現在ではあまり名の知られなくなった洋画家であるが、夫妻で熱心に非水の生活の面倒をみている(注3)。藤田との交流については後述する。この二人以外にも、フランスまで同船してきた白瀧や萩谷、さらに、先に日記に登場した及川呉郎、小西正太郎をはじめ、石井柏亭、跡見泰、山本森之助などの同世代の洋画家たちと親交を結んでいる。当時非水は三越でのデザイン活動などを通じて、一流図案家としての名声を博す存在であったが、駆け出しの画学生時代に黒田清輝の知遇を得て以来、白馬会や光風会といった洋画家の人脈に身を置く存在でもあった。非水はこのような芸術的出自を生かして、現在その詳細が知られつつある1920年代パリにおける日本人画家のネットワークをその滞欧生活に十二分に活用している(注4)。前述したように、非水は初めての渡仏にもかかわらず、早々に自由に街を散策し、お目当てのポスター蒐集や美術館めぐりを実現させているのは、このような人脈があってのことであろう。さていまいちどポスター蒐集に話を戻そう。非水は古書店や画商から購入するだけでは飽き足らず、ポスターが掲示されている“現場”に赴いて蒐集している。例えば、7月19日の日記には「自動車やで旅行のアフヒッシュを七枚計り買った。旅行から帰る迄に沢山集めてくれる約束をする。」とある。また、8月28日の日記は、非水の熱心な蒐集ぶりを伝える。8月28日「食後〔山本、及川と〕別れてけふはモデルの案内で停車場廻りをする。最
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