鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―524―17件の報告が行われた。報告はパワーポイントやPC画像など視覚的な方法で作品を示しながら行われたが、一報告あたりの持ち時間がわずか15分という厳しい制限があり、時間不足のために報告を完了することができなかった者も多かった。また、質疑応答の時間は午前と午後に各15分程度で、内容確認や情報提供に終始した。なお、参加者は事前に1000字程度の摘要(要旨)を提出しており、会議参加登録時に中文と英文で印刷された摘要集が配布された。西安美術学院は今後正式の論文集の刊行を予定しており、報告者たちは本年7月末までに論文原稿を提出することになっている。見学は西安美術学院のバス2台に分乗し、第3日は西安市の南の周至県にある道教遺跡「樓観台」と「祖庵」を訪れた。第4日は西安市内の「東岳廟」(修理中であったが、特別に壁画を見学)を見学の後、西安北方の耀県へ移動し、薬王山の摩崖造像と碑林を見学した。とくに薬王山の碑林(薬王山博物館)は、1934年の漆水氾濫時に採集された北朝〜唐時代の道教や仏教の造像碑が多数陳列されていることで知られており、近年外国からの見学者も多い。見学終了後、西安に帰り、翌15日までに各自帰途についた。今回の会議に参加して、まず、「道教美術」と呼ぶ対象について考えさせられた。架空の存在である老子を祖とする道教は、その思想や理論の成り立ちも雑然とした部分が多く、土俗的な信仰や自然崇拝をも含めて捉えられている。そのため、道教美術として取り上げられる作品の内容も広範に及び、また、芸能や民俗学の分野と深く結びついている場合も多い。もちろん、美術史学的な手法で個々の作品を中心にその価値や内容を論じることは必要であるが、それを生み出した中国人の生活や思想、さらに社会や国家の有り様をも含めて考えなければ、研究する意味がないだろう。このことは仏教美術史研究においても最近痛感するところであったが、中国人の日常生活に密着する道教においては、このような問題意識はとくに不可欠であろう。また同時に、これまで分かったつもりになっていた仏教美術作品についても、仏教だけではなく、民間信仰や道教思想、葬送儀礼や風習などの観点から見直す必要があると思った。国際会議としては比較的小規模であったが、分科会を複数設ける大規模な学会と異なり、全員が同一会場で一人の報告に集中して耳を傾けることで一体感が生まれ、会議後の見学や宴会の場においても、友好的な交流ができたと思う。ただし、一つだけ残念に感じたのは通訳の問題である。国際会議であったにもかかわらず、専任の通訳が準備されていなかった。このため、質疑応答の際の意見交換が不十分であったことは否めない。

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