―529―4.古典織物の復元に至るまでの調査の過程京都市にある聖護院より復元の許可をいただき12世紀の錦と9世紀の絹の紐の調査をした。調査品は智証大師求法目録付属品である。桐箱の中には縦30cm横18cmの錦と幅6mm長さ19cmの紐が保管されていた。智証大師は天台宗の僧侶で9世紀中頃に仏法を求め唐に渡りその後、経巻などを日本に持ち帰った。絹の紐はその当時の9世紀の巻子の紐と考えられるが、求法目録の袋の残欠とされる錦は織組織、文様から智証大師の彫像が作られた12世紀と考えられる。文様の分析は縦方向(紋丈)と横方向(紋口)の紋様の繰り返される寸法を計る。次に主紋、副紋、地紋などの紋様構成を調べる。その結果、文様構成は円紋を中心に左右、上下対称に繰り返され、蔓草の中に子供がぶら下がっていることもわかった。次に拡大鏡を使い経・緯糸の密度と織物の組織を分析する。また、糸の色を調べ染料についても考察する。その結果、経糸には30dぐらいの薄茶の生絹が使われ、緯糸は160d程の練絹が使われていることがわかった。緯糸の色数は青、緑、白茶、黄茶の4色で、地色は染料の紅花が退色し黄茶に変色したと推測した。青は藍色、緑は藍と黄色系の植物が使われ、白茶は白糸が黄変したか茶系の植物で染められたと思われる。錦は残欠のため紋様の1パターンはないが文様構成がシンメトリーのため復元できた。復元した紋様を方眼の意匠紙に描き、そこから紋紙を準備する。その紋紙を経糸が準備された木製のジャカード機に取り付けると織り出すことができる。復元した錦は重文に指定されている12世紀の絵巻の表紙として使われた。絵巻は墨で描かれ彩色を施さない白描技法で描かれているため、調査した色とは違い茶系の同系色の緯糸で織ったものが使われた。調査した絹の織紐も復元した。この紐は組む技法ではなく織る技法で作られている。部分的に経糸が浮いている紋様があるため専用の機を作り紋様部分は指で引き上げ制作した。復元した織紐は重文に指定されている9世紀の巻子の紐として使われた。5.まとめ私の古典織物が表装裂として使われた掛軸は美術館や博物館に展示される。しかし本来、掛軸は日本の伝統的家屋の床の間という場所に飾られるものであった。床の間は客人を迎える部屋にあり一番神聖な空間でもある。主人は客人を迎えるためにその床の間に掛軸、花入れ、香炉などの美術品を飾る。するとそこは日本建築の特性を活かした小さな美術館へと変わる。主人はお招きする客人の気持ちを考え季節や時間によってその取り合わせを変える。床の間には主人のメッセージが込められるため、そこは美術館の場に留まらず、心の交流の場として日本人の生活に息づいてきた。床の
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