―46―に反映されたが定かではないが、エコール・ド・パリの画家として名高い藤田がポスターの審査をおこなったというエピソードは興味深いところである。2 ポスターの“再発見”それでは、非水が蒐集したポスターはどのようなものであったのか。まず総点数についてであるが、先行研究の多くは約300種としている(注8)。非水自身による「自伝六十年」の記述を踏まえてのものであろうが、同文の直前部分は、ポスターの一部を前送したため、横浜で震災の混乱で紛失してしまい、結果として手元にあるものが約300種となったとしている(注9)。帰国直後の記事では「四百点近く」とも記している(注10)。また、1924年8月に日本橋・三越で「杉浦非水氏将来仏蘭西ポスター展覧会」を開催したが、それに寄せた文章では展示の作品点数について「数は大体選択して三百枚」としていることからコレクション自体はこれ以上あったとみるべきであろう。非水が「種」と「点」の語句の違いをどのように区別したのかはっきりしないが、例えば同じ絵柄のポスターが2枚ある場合は、「1種2点」という言い方もできるだろう。いずれにせよ、この問題を含めてコレクションの数については今後の調査課題とするが、これらのポスターはその後、展覧会のかたちで数回陳列された事実は確認できた(注11)。さて今回の調査では、近年まで遺族の元に残され現在は2館の美術館に収蔵されている非水旧蔵ポスターを改めて詳細に検分した。〔表1〕は現在の宇都宮美術館と愛媛県美術館が収蔵している非水旧蔵ポスター21点の作品リストである〔図1〜4〕。しかしながら現時点では、この21点がヨーロッパ遊学の際に持ち帰ったポスターであるとは断定できない。残念ながらさきの「日記」もポスターの詳細な情報までは伝えていない。とはいえ、その可能性ももちろん捨てきれない。まず、中山公子氏は「杉浦非水の足跡」と題した論文において、場所と日時は不明ながら、非水が帰国後に開いたとおもわれるポスター展の会場写真を紹介している(注12)。その写真から愛媛所蔵のミュシャのポスターの展示が確認でき、非水も「ムツカのサラベルナールの芝居のものなどは割合得られました」と回想していることからも、この3点に関しては滞欧時の蒐集品と断定してまず間違いないだろう(注13)。また、宇都宮所蔵分に関しても、非水が帰国後に記した関連文献に掲載された図版と一致した作品が18点中9点であること。加えて、ポスターの発表年が非水滞欧時前後のものが比較的多くみられること。さらに、非水の回想文で、さきにふれた鉄道ものをはじめとして美術展もの、劇場もの、カフェ・バールもの、商品広告ものが多か
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