鹿島美術研究 年報第24号別冊(2007)
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―531―も氏独自の研究関心に基づく幾つかの新知見を得られたようであった。さて、16日は午前中にシンポジウムのもう一人の講演者である奥健夫文化財調査官との打合せを行った上で、シンポジウムに臨んだ。シンポジウムは13:30に開始され、17:00終了の予定であった。聴衆は美術史、宗教学、哲学、倫理学などを専門とする研究者および学生を中心として、外部参加者が約60名、東大関係者が約20名、計80名ほどであった。なおシンポジウムの概要は以下の通りである。冒頭小佐野重利東京大学教授による開会の辞および鹿島美術財団への謝辞の後に、ヴォルフ氏の講演が行われた。「聖遺物、聖像、聖地―13世紀〜17世紀のキリスト教文化における生と死、天と地とのコンタクト・ゾーンDivine Bodies, Sacred Images多くの図像を縦横無尽に用いつつ英語で発表され、職業的同時通訳が日本語に翻訳した。講演内容はおおよそ以下のようなものであった。講演は、まず死および死者の身体と関連付けながらの地中海文化におけるイメージの起源についての議論から始められた。イメージは、儀礼や集合的記憶の中で、腐敗し消滅する身体の代替物たりうる。それと同時に、祖先や神々の崇拝を想起するとわかるように、イメージは聖なるものの領域にも参入する。死者の彫像や画像は、地上に残された者たちにとっての遺品であると同時に、現世を越えたところでの死後の生のための保証であり、シェルターとしても役立つという二重の機能を担う。キリスト教では、肖像と聖なるイメージについての古典的伝統は、部分的に否定されもするが、部分的には形を変えて継承されている。ヴォルフ氏によれば、キリスト教に継承されているのは、現世と来世との間でのイメージの演繹法であり、偶像と聖画像との間の葛藤と線引きが、基本的な問題であるという。次いでヴォルフ氏は、「イメージの二重の生Double life of images」について論じられた。イメージは、儀式的機能を持ち、儀式において「行動」する一方で、美的アイデンティティーや審美的特質もイメージに生命感を付与する。この二つの次元は、混淆することもあれば、協同することもあり、数多くの聖画像が、公衆と相互交渉を行うことにより奇跡を起こすものとなり、聖画像がしゃべり、泣き、出血するようになった。イメージの新たな模倣的特質こそが、このような相互交渉的な奇跡と結びついたことを、ヴォルフ氏は具体的事例を示しながら強調された。講演の最後では、キリストのイコンに焦点をおきながら、儀礼や場というコンテクストにおける聖画像と肖像との関係が論じられた。ヴェラ・イコン信仰には、聖画像and Holy Sites. Contact Zones between the Living and the Death, between Heaven and Earthin Christian Cultures」と題されたこの講演をヴォルフ氏は、パワーポイントにより数

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