.カラスとトスカーナ大公―55―序――シエナ、フォンテジュスタ聖堂《ペストの聖母》をめぐって――研 究 者:西南学院大学 国際文化学部 准教授 松 原 知 生ベッカフーミやソドマが目覚ましい活動を展開した16世紀前半と比較した場合、世紀後半のシエナ美術が生彩を欠くものであったことは否定できない。1555年のシエナ共和国滅亡とそれに続くフィレンツェのメディチ家による支配の下、同地の文化活動は全般的に停滞の色を帯びたのであり、造形芸術も例外ではなかったのである。この時期のシエナ美術を再評価する動きは、1980年に開催された『メディチ家支配下のシエナ美術』展(注1)以降ようやく活発化し、そのおかげでこの時代に関する知見は著しく深まることになった。とはいえ、その際の関心は主に、カゾラーニやヴァンニら重要な画家たちが制作を展開する1580年代以降に向けられ、共和国滅亡直後から1570年代にかけての〈停滞期の中の停滞期〉とも呼びうる時期の状況については、いまだ明らかになっていないことが多い。また、「メディチ家支配下」という特殊な政治情勢と芸術制作との関連についても、十分に考慮されてきたとは言い難い。本稿は、このような現状を踏まえ、従来ほとんど研究の対象となってこなかった1枚の絵画に光をあてることで、これらの問題について若干の考察を試みたい。なお紙幅の関係上、ここでは研究成果の大枠を部分的に示すに留めること、参考文献も必要最小限のもののみを挙げることをお断りしておきたい。1.様式的特異性われわれが考察するのは、現在シエナのサンタ・マリア・イン・ポルティコ・ディ・フォンテジュスタ聖堂(以下「フォンテジュスタ聖堂」と略記)に設置されている1枚の祭壇画である〔図1〕。同聖堂のファサード裏面、扉口から入ってすぐ左側のニッチ内に安置されているこの作品は、画面上方に天使の群れを伴って顕現する聖母子を、下方にそれを見上げつつ崇める人々が描かれている。両者のはざまに位置する空間には、都市の遠景(中央)と聖堂(画面左)が描かれている〔図2〕が、これがシエナの町とフォンテジュスタ聖堂を表わしていることは一目瞭然である。この作品の作者としては従来、ベッカフーミとソドマ亡き後のシエナで活動した画家バルトロメオ・ネローニ(通称リッチョ)、あるいはその周辺の画家が想定されてきた(注2)。だが実際には、この絵の様式は、リッチョはおろか当時のシエナ絵画
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