―59―をいわば検閲し、人為的に改変することにあったのではないだろうか。16世紀のシエナでは、中世の聖母像崇拝に新たな政治的意味をほどこして再受容あるいは流用したケースがしばしば認められる(注12)が、本図はこのようなイコン礼拝の政治的操作が支配者のフィレンツェ側によっても行なわれていたことを示す、興味深い作例となっているのである。4.宗教イメージの中のコジモ1世シエナを統治したメディチ家の君主たちは実際、シエナにおける宗教的祝日の祝祭や聖像崇拝の実践に介入することで、いわば文化的なかたちでシエナにおける支配体制を強化しようとしていたことが知られるが、本図はそれが宗教イメージの領域でも遂行されていたことを示す貴重な作品である。他方、コジモはすでにフィレンツェにおいて、聖母を中心とする宗教画の中に、聖者に扮装した姿で表象されており、こうした作例からもやはり、明確な政治的意図が看守されるのである。早い例としては、ヴァザーリがおそらく1558年に描いた板絵が挙げられる〔図10〕。聖ダミアヌスとして描かれたコジモ1世は、聖コスマスとして表象されたメディチ家の「祖国の父」コジモ・イル・ヴェッキオの像〔図11〕と対でいわゆる「絵画タベルナークルム」をなし、その中央にはかつてラファエッロによる《布張り窓の聖母》が安置されていた(注13)。自らをメディチ家の守護聖者になぞらえ、さらには一族の栄光の起源にある同名の人物と組み合わせることで、当代の繁栄が過去の黄金時代のそれと比肩しうるものであることが示される。さらに、コジモ・イル・ヴェッキオの弟ロレンツォに始まるいわゆる〈弟脈〉=傍系出身であったコジモ1世が、あたかも老コジモの〈兄脈〉=直系に連なるかのように呈示されることで、コジモ1世の君主としての地位の正統性が巧みに演出されているのである。ここでのコジモもフォンテジュスタ作品と同様、聖母像を指さすことで、作品がはらむ政治的メッセージを観者に明確に伝達しようとしている点が興味深い。さらに、フォンテジュスタ聖堂と年代的により近い作例としては、ジョヴァンニ=マリア・ブッテリ作とされる、聖母子と聖アンナを中心に構成された聖会話図が挙げられる〔図12〕。1575年の年記のあるこの作品において、コジモ(制作の前年の1574年にすでに死去していた)は画面左端に聖コスマスとして登場し、その右に立つ息子フェルディナンド=聖ダミアヌスと対をなしている。その他の聖者たちの多くも同様に、メディチ家およびその関係者の扮装肖像として描かれている(注14)。ここで特筆されるべきは、画面最上部で両手を広げてメディチ家の面々を庇護する聖アンナの
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