■リッチョへの帰属はコルニーチェによって正しく否定された(A. Cornice, in Arte a Siena sotto iMedici cit., p. 29)。その後デ=マルキは、フィレンツェ画家ピエトロ・クロージおよびジョヴァ―60―注Arte a Siena sotto i Medici1555-1609, catalogo della mostra di Siena, Firenze: De Luca Editore, 1980. P. Torriti, Tutta Siena contrada per contrada, Firenze: Bonechi, 1988, p. 291は、「リッチョに近い16存在である。聖アンナと言えば、1343年の聖女の祝日(7月26日)にアテネ公がフィレンツェから追放されて以降、同地にとっては共和制と自由、さらには反専制=反メディチのシンボルであった。そのアンナに逆説的にもメディチ家の守護役を与えることで、この作品は、伝統的な政治的意味を否認し骨抜きにしているわけである(注15)。これらの作品と比較すると、一見例外的で逸脱的に思われるフォンテジュスタ聖堂の《ペストの聖母》も、トスカーナ大公国のイメージ・ポリティクスとも言うべき一連の文化的・宗教的介入という文脈の中に、その場を占めていることが分かるのである。結語コジモ1世が自らの権力を誇示し、大公国に政治的統一をもたらすために、造形芸術を含む文化活動を巧みに利用したことは、近年の研究によって明らかにされている(注16)が、それがシエナにおいても遂行されていたこと、またイコン崇拝という伝統的な宗教的実践への介入というかたちをとってもいたことが、以上の手短な考察から理解される。芸術的に見て決して質が高いとは言えないフォンテジュスタ聖堂の作品は、支配国フィレンツェと属国シエナ、あるいは中世の聖像崇拝と近世の文化政策など、さまざまな二項対立のはざまにあるという点で、共和制崩壊後のシエナにおける政治的混乱の渦中に位置づけられるものなのである(さらに言えば、その低劣なクオリティそれ自体、当時のシエナにおける経済的・文化的停滞を指し示しているとも考えられよう)。そして、こうした対立関係をいわば凝縮したかたちで視覚化しているのが、画面左下のカラスとライオンである〔図8〕。カラスを睨みつけるライオンは、ペストの蔓延した〈病める都市〉シエナに対するトスカーナ大公コジモ1世の勝利と栄光を象徴しているのであり、それは、シエナの伝統的な守護者である聖母マリアを新しい支配者が我がものとして〈領有〉するかたちで実現しているのである(注17)。世紀の逸名画家」の作とする。
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