/伊藤若冲の版画作品研究―65―――《著色花鳥版画》を中心に――研 究 者:和泉市久保惣記念美術館 学芸員 後 藤 健一郎1.はじめに伊藤若冲が制作した《著色花鳥版画》(注1)は、八枚の版画で構成されておりその内の一枚に「明和辛卯」印が添えられることから明和八年(1771)に制作されたと考えられている。若冲は、相見香雨氏が「拓版画」(注2)と呼称された《素絢石冊》、《玄圃瑶華》を明和四年(1767)から五年(1768)にかけて制作している。それは明和二年(1765)に急遽《動植綵絵》二十四幅と《釈迦三尊像》三幅を相国寺に納めた後のことであり、さらに明和七年(1770)には父の三十三回忌を迎えるにあたり《動植綵絵》三十幅の寄進完了を告げる文書を遺していることを考えれば、《動植綵絵》の完成を迎え異なる表現技法の作品制作に若冲が向かった時期であったとも考えられる。私は《著色花鳥版画》の制作契機の一つに上方狂歌師たちとの交流があったのではないかと考えている。本報告の目的はその可能性を追求することであり、以下にとりあげる宝暦八年(1758)に大坂、京都、江戸で開催された鸚哥の見世物に注目する。2.宝暦八年(1758)の鸚哥の見世物宝暦八年、大坂、京都、江戸の三都市で鸚哥の見世物が開催された。各都市での様子を伝える史料が遺されており、京都と大坂では『奇観名話』(注3)という版本が同じ年に出版されている。上野益三『日本博物学史』(注4)によれば「舶載飼鳥の図説の版本の嚆矢」と評されるものである。医師である菅清Cが執筆し、関岡逸訓という人物が挿図を描いている。板元は京都書坊芳野屋八郎兵衛、萬屋作右衛門、萬屋仁兵衛、浪花書肆芳野屋十郎兵衛の相版。序文は関岡逸訓、跋文は九如館鈍永(1722〜1767)と菅清Cが執筆している。鸚哥の解説が漢文とともに和文も記された上で、挿図が添えられている。それでは『奇観名話』の内容を見てみよう。各頁では、漢文と和文の間に縦線が引かれており、和文その下に鸚哥の挿図が描かれる。この版本には叭々鳥、九官、鸚鵡、五色いんこ、緋いんこ、猩々いんこ、達磨いんこ、御花いんこ、青海いんこ、青いんこの十羽が記載される。「叭々鳥」〔図1〕、「猩々鸚哥」「青鸚哥」〔図2〕の解説と挿図には
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